その三四三

 

 

 






 





 






















 

静脈は 誰もしらない せんろのように

ちいさな庭を眺めていると、ほんとうに植物は
手をかけなければかけないなりにどんどん
たくましいくなっていくし、
夏の間けっこうほったらかしにしていて
わずらわしさもあったのだけれど
草取りやもろもろの作業をしていると
なんとなく、いとしさみたいなものにも
気づいたりする。

鎌倉の東慶寺でみかけたロウバイが、
すてきだったので、植物の種専門の通販で
取り寄せて、地植えしてみたのはもう
8年ほど前のこと。

はじめは、ひょろひょろとしていて
たよりなげで、花をつけるのはまだ先とは
わかっていてもその姿勢がどうも
軟弱すぎたので、その愛で方がわからない
日々をずいぶん重ねたと思う。

月日が経ったある二月頃。
太陽のひかりにかざすと透き通る黄色い花びらを
つけはじめてからにょきにょきと枝も幹も
ずぶとくなっていって、いまではどんな
風にも負けないぐらいのどっしりとした
木へと成長した。

かつて暮らしていた大阪の自宅ではいつも
母とふたりで夏になるとそういう作業に
勤しんでいた。
ちいさいにわの生き物達に接していると
いつのまにかかつての庭が目に浮かんで来て
ちょっと懐かしくなってくる。

ナスタチウムという、ハーブを植えている時
不思議なはっぱの模様をみかけたことがあった。
みどりの葉に細い白い線が、らせんを描いている。
よくみるとどの葉っぱもいろんな形のまま
線が描かれていたのだ。

指に触れてみると、エンボス加工されたみたいに
すこし凹凸を感じた。
母に尋ねると、手を休める事なくそれは<絵描き虫ね>と
いって作業を黙々と続ける。

だまって、緑の葉をはがしてみたけれど、絵描きの主は
そこにはいなくて、もう作品を作り終えたあとだった。
白い糸を吐くように絵を描く。
糸がこんがらがったとき、それをそのまま
押し花のように上からおしたみたいで、虫といえども
なんだか、親近感が湧いて来る。

その葉っぱは、わくら葉にちかいものかもしれない
けれど、病んでいるというより、ちいさな虫のために
キャンバスをわけてあげているようで、そのシェアの
しかたが面白いなって思った。

まじめなガーデナーではなかったけれど、すこしずつ
植物とじぶんの記憶が紡がれていることを
庭先で手指を動かしていると感じることがある。
とるにたらない時間だけれど、それはそれで
確かな記憶のひとつかもしれないと、年齢のせいか
そんなことに思いを馳せるようになった。

なまえもしらない<絵描き虫>のようにじぶんの
歩いてきた道を線で描いてみたらどんな
らせんのつながりになるんだろうと
ふと夢想しつつ。

       
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