その三四五

 

 

 






 







 





















 

遠雷が なくしたものに ふれている

 小さい時は、おまじないのようなことばの
つらなりが、うそっぽくていやだなって思ってた
けれど。
 なんとなく近頃は、そういう意味がまつわり
つかない、じゅもんのような繰り返しが気になる
ことがある。

  ゆれるぶらんこ。
 いつか連れて行ってもらった木下サーカスで
みた、空中ぶらんこ。
 いつも公園で乗っているブランコがあんなに
高いところにあって、向かい合ってる。
 それに腰掛けるのではなくて両手をまっすぐ
のばして、互いに身をなげだしてゆく。
 ぶらんこのバーから手が離れる時のいっしゅんの
息づかいが、見上げてるわたしたちにまで聞こえて
きそうな、はりつめたじかん。
 ばらばらだったふたりが、ぶらんこから手を離すと
たちまちふたりはひとつになって、ゆれている。
 ふたりのじかんは短くて、はじまりの場所へと
引き戻されてゆく。
 小さいながらも、わたしは空中ぶらんこの胸が
とくとく鳴るような時間が好きで。
 あのふたりはずっとあのままだったらいいのに
って思うくせがあった。

 ランドセルをほっぽったまま、近くの公園でみんなが
帰った後に、ぶらんこに乗る。
 ゆれると、風がこしらえられて。
 ひるまの熱気がまだそこら辺りにいて、花壇の外に
咲いている草いきれを感じる。
 となりのうちの屋根が遠くなったり、近くなったり。
 空が手をのばせば届きそうになった時、雲がわたしの
眼から遠ざかってゆく。

 前に揺れると近い未来。後ろに進むと遠い過去。
 そして現在はいつも揺らいでいるみたいに。
 すこしだけおとなになったころ、ふたりでぶらんこに
乗った。
 笑う声も話す声も遠くなったり近くなったり。
 ゆれているぶらんこの上で、すこしずつ
ずれてゆく視線。

 ふいにすきだったわけでもない詩のなかのおのまとぺが
うしろから付いてくる。
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。

 わけもなく、おまじないのようなことばに掬われることが
生きていると、あることを思いがけなく知って。
 どこからか訪れる風のなかに金木犀の香りがよぎって、
むかしむかしのぶらんこの風が、ふいにまぎれこんでいる
気がして。


       
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