その三六〇

 

 

 






 







 


























 

ささやきが ひとりしずかに 歩いてゆけば

 もう忘れたって想う。そのせつな忘れたはずだったってたくさんの過去をないまぜにしようと試みるけれど、なかなかそれはひとつになってくれないので、からまったまま、こころのどこかしらに、ほっぽらかしておく。

 通りを歩く。春の装いはひとびとの足取りがコートやマフラーや手袋にまみれていた頃よりもきっと、軽く速くなっているような気がする。

 空き地だった場所にいつのまにか、ビルが建とうとしている。緑色の網目のついたシートをたらんと垂らしてそれが時折、カーテンのように風に揺れている。

 空き地だった場所が元なにかだったことはなかなか思い出せなくて、記憶を辿るのだけれど、おかしいくらいに
浮かんでこない。

 新しいスポーツシューズを買ったので、歩きたくなった。
好きなデザインなのに、まだ足馴染みがよそよそしい。
 あたらしいってことは、すべてに遠い感じがする。
 その距離感が、ちぢまるまでの間はとわにあたらしいのかもしれない。

 開け放たれたビルの一室から、ずっと電話が鳴り続けている。その電話の音が、たぶん鳴っているのに切れてしまったかのように掠れてしまうまで、まっすぐの道を歩く。

 いつかふたりで、夜の道をあるいたことを思い出していた。
 季節は冬で、クリスマスで。初めて降り立った街の道に
迷った。
 帰り道がわからなくなって、くるくると昼間みた風景を
今いる場所にそっくり映しだそうとしてみる。
 迷い道につきあってくれたひとは、青信号を待ちながら
ひとにぎりのことばをゆっくりと冷たい空気のなかにゆっくりとこぼしながら、ゆるやかな歩調で歩いてくれた。

 少し時間が経って、ひとりでその道を歩きながら、
 この間聞いたばかりの英語圏の男のひとの声を思い出していた。

<言葉をうまく操れないことで、感じる恐怖。外国語を話す時に限界を感じるのと同じで、言いたいことではなく、言えることを言うしかない。本当の気持ちをさけるようになり、それが生き方になる・・・。>

 吃音だった人の精神をなぞることで、その役を乗り越えようとしたイギリス俳優の言葉だったけれど。思いと言葉が裏腹だった経験を思い返すと、しとしとと共感を憶えてしまった。

 そんなふいな思いに、面食らいながらもすこし俯瞰して。 
 春は、あけぼのじゃなくって歩くだなって想うこのごろです。


       
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