その三六四

 

 

 





 






 



























 

思い出す てのひらの熱 さめてゆく不安

 黄色く、ほやほやにふくらんだ風船が茶色いいぬのあたまにまっすぐくっついていて、その姿が、めにもあざやかにとびこんできてしばらくページをめくる。

 このあいだ、はじめて出会ったへんてこな話
「ふうせんいぬ ティニー」。
 ふだんなら眼もとめない世界なのになぜだか、気に入ってしまった。

 ティニーは、飼い主のケンと散歩中に、突風に吹かれて空へそらへと飛んでいってしまう。
 その雲の上には<ふうせんどうぶつ>たちがいて。
 彼らひとりずつと知り合ったになったティニーは、空の上の知らない世界へと引き込まれてゆく。

 ページを開くと空の青と、雲の白と色とりどりのふうせんどうぶつ達が、浮かんでる。
 ふうせんいぬティニーが、これからどこへいってだれに出会うのかは、まだわからないけれど、ちょっと気にかけたいなっておもうはじめてのキャラクターだった。

 書店に行くと、ふらふらと足が向いてしまうのは絵本のコーナーだったりする。
 一冊をよんでしまうのに、さほど時間はかからないけれど、読み終えた後のこころのなかの様子はすこし、絵本以外の本を読んだ後と違ってる。

 哀しかったり、可笑しかったり、わらったりほほえんだり、ぎゅっとしたかったことがふいに現れてきて、じぶんの根っこめいた場所が、穏やかにゆさぶられる。

 読む前には、どこなとくもやもやしていたものが最後のページをぱたんと閉じたときに、健やかな呼吸がもどってくるみたいに、晴れてくる感じがする。

 忘れてばかりのふうせんうさぎや、ふたごのペンとギンがいつもけんかしていたり、おなかがいっぱいでやる気のでないピギー、そしていばりんぼうのリオン。

 そこにいる彼らは、ありえない動物たちだけれど気がつくと、それでも彼らの誰かやみんなに、じぶんをあてはめて、同じ地平に立っている距離感で読んでいる。

 絵の中に何かささやかな情報が隠されていないかなと、文字をゆっくりと眼で追いながら彼らは、みんなふうせんをつけた迷子のどうぶつなのかもしれないと、思った。
 ほんとうはそれぞれに帰るべき場所があるのに、いまはそこにいる仲間たちと何処かへと向かっている。
 まだそこからの続きは知らないけれど、迷子というフレームの中にたくさんの「物語」が潜んでいる気がしてきて勝手に想像をふくらませて楽しんでいた。

 もうなにもないなって思ってしまうとき、ふと絵本に出会うと、最後の砦のようにまだここにこれがあったんだって気持ちになるときがある。
 絵本は、ひとつのジャンルというよりも、あしたもきっと大丈夫でいるためのたいせつな処方箋に似ているのかもしれないと思いつつ。



       
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