その三六六

 

 

 





 





 



























 

遠ざかる 魚眼レンズが 見ているしじま

 窓を拭く。網戸も洗って、カーテンを洗濯した。
 外の風が、窓に突き当たってそこで止まる。
繰り返し繰り返し、風が触れた場所を、すべてシャワーの水が洗い流す。

 シャボンの泡のなかに、積み重なった年月が一瞬にして流れてゆく。流れるってすきだなと思う。

 トランプの、持ち手のカードが気に入らなくてすべてをそこに捨てて、新しい数字と新しい顔のアルファベットをみるときの爽快感に似て、すこし期待する瞬間が、すきなのかもしれない。

 いまはほとんどひとりで掃除をするけれどむかし、ふたりで掃除したことがあった。
 ほうきで、フローリングを掃く時、壁の隅からって怒られて、ぞうきんのしぼり方が弱いよって言われたりしても、けらけらと気にならなかったのは、きっとふたりでいるその状態だけが、じぶんの居るべき場所だと信じていたからかもしれない。

 大阪で学生だった頃、待ち合わせをしていた夕刻、デパートの裏側のビル群のすぐそばに、ひとりのおとこの浮浪者のひとが、つかつかとやってきた。
 彼の腰回りには、デパ地下でもらう年季の入ったポリ袋がいくつもズボンの古びたベルトのまわりを飾るようにいくつもまあるくくっついていた。
 彼が遠くから歩く速度にあわせてそのまるい袋がリズミカルにゆれていたので、その姿から眼が離せなくなって、なんとなく彼のふるまいをじっとみつめてしまった。

 斜め前に陣地を構えるように立ち止まった彼はベルト通しの後ろに背負っていたほうきを、引き抜くと、丁寧にそこを掃き始めた。
 路地のアスファルトに、あたかも目地があるかのようにまっすぐ縦に掃いたあと横にほうきを、はしらせた。
 チリらしきものを集めた彼は、例の腰回りの袋の中から
厚紙を取り出して来て、それをちりとりのように扱って、
集めたゴミは町の大きなゴミ箱へと、捨てに行った。
 彼の唯一の場所らしいちいさなテリトリーを、おそろしく時間をかけて掃除している様子はまだ若かったわたしに衝撃を与えたのだと思う 。

 書き始めたときはそんなこと忘れていて、なにも今日はかけないかもしれないと、もやもやしていたはずなのに、しばらくすると頭のあちこちをその映像が鮮やかに駆け巡って、どぎまぎした。

 掃除があの日のおじさんにつながるなんて思ってもみなかった。

 掃除はほんとうは苦手だけれど、掃除を丁寧にするひとには憧れがあるし、人として信用してしまいたくなる。

 あの時のあのおじさんは、とても新鮮だったしひとはどんな境遇にあったとしても、きっと掃除せずには、生きて行けないそういう生き物なのかもしれないなって思う。

 窓ガラスのくもりが晴れて、水のしずくが切れた網戸は清々しい匂いがする。乾いたカーテンを背伸びしながら吊ると、かなりちがう地平にじぶんが立っている気がした。

 なにもかわらないようにみえていて、じぶんのなかのなかがすっかりあらわれたような、新しい風がこっちにそよいでくるのがわかった。


       
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