その三七七

 

 

 






 






 
























 

とけてゆく せかいをみてる いちがつの窓

 キッチンについている薄青い円錐形の灯りの傘から洩れる光が好きで、すべての電気を消してそこだけほんのりと灯らせる。
 ほとんど台所がわたしの住処のような、そんな年末から
年始にかけて、ほんとうにひとりで駆け抜けた気分がしながらも、この場所ってそんなにきらいな場所じゃないなって思う。

 七草がゆめいたものを作ろうと、冷蔵庫の野菜室をのぞきながら、がんばって五草ぐらいにして、おもちをいれた雑炊をつくってみる。
 だいこん、にんじん、きゃべつ、くれそん、こまつな。
 なんとか葉っぱをあつめて、きざんでぐつぐつと煮て。
 あの沸騰するときのぷつぷつをみるのが、好きでいつも水分を存分にたずさえた太った雑炊になってしまう。

 限られた灯りのなかで、作業していると、ひとりだなっておもうし、なんだかここがわたしのいきている世界なんだっておもいがひしひしとしてくる。

 お米とお餅がとけあった野菜のすがた形がみえなくなるまで煮詰まった醤油や塩麹で味付けされた雑炊の世界もここにあるって思いながら。

 去年の秋頃、雑誌の特集でよんだ<スヌーピーのひみつ>に掲載されている『PEANUTS』をぱらぱらとめくっていた。
 そのエピソードをよみながら、「世界」って訳されたことばに立ち止まる。その後も、<WORLD>って箇所だを巡るようにページの中を探し歩く。

 元気のないチャーリーブラウンが、お医者さんのふりを
したルーシーの所を訪ねて、<人生が自分をすり抜けてゆくようなとき何ができる?>って投げかける。
 ルーシーは、その言葉を聞いた後、わたしの後についてきてっていうと、彼を原っぱに連れてゆく。
 向こう側の地平線を指差して、<この世界がどんなに広いかわかる? すべてのひとにたっぷり居場所があるでしょ>ってきっぱりと言い放つ。
 それでも腑に落ちないチャーリーブラウンに彼女は畳み掛ける。
<あなたの知る限り存在する世界はこれだけ・・・でしょ?
あなたの生きる世界はほかにはない・・・そうよね?
(中略)じゃあここで生きるのよ!>
って怒ったあとに、じゃあ5セントいただきますっていう
オチで終わっている。

すべてを内包してることを表現したいときに使ってしまう
「世界」。
「世界」ってことばを放ったあとに、「世界」はほんとうはどこにあるんだろうと、ちいさな疑問も芽生えていた。
そんなときに出会った『PEANUTS』のなかには、ちょっとした答えの入り口が隠されていた。
 じぶん側からみた「世界」はややこしいけれど。
 チャーリーブラウンとルーシーの<WORLD>が、確かにそこにあることがわかった。

 ことばの種類がどうであれ、果てしない日常が描かれた
エピソードに、こころの置き所が見つかった気がする。
 日常からうまれた問いかけの出口は、きっと日常じしんが握ってる気がする。

 ことしも他愛のない<うたたね日記>をどうぞ
 よろしくお願い致します。
 みなさまが、こころいっぱいしあわせでありますことをお祈り申し上げます。

                    もりまりこ

       
TOP