その三八五

 

 

 




 







 
























 

かなしみの ちいさなうつわ ひたひたにして

 ガース・ウィリアムズの描いた「しろいうさぎとくろいうさぎ」の原画をみたとき、この線のやさしいつらなりをどこかでみたことがあるような気がして、ぐるぐると記憶をたどる。

 それは「大きな森の小さな家」の「小さな家」シリーズの挿画だったことを知って、なんとなく子供時代の懐かしさと苦さみたいなものが、ふっとそこに浮かんでいた。

 くろいうさぎが首を傾げながら、ふりかえりまえあしを
ふたつそろえてあげている、しろいうさぎをみつめている。
 それは<くろいうさぎが、じぶんの願いごとをしろいうさぎに告白する>場面。
 うさぎが二匹と木いちごらしい果物の実がふたつぶ実っている、とてもシンプルな絵なのに、なにかずっと見いってしまいたくなる、みえないちからのようなものがすうっと伝わってくる。

 そこに描かれたうさぎという生き物は、筋肉や脂肪もなにもなくて、ただただあたたかなむくむくの毛だけで形作られているというような、そんなからだで。
 相手をみているときの眼の光はまるで、慈悲に満ちている。
 こんな眼をみていると、生き物達はときにひとのことを
こんなふうに見上げることがあるなって、思う。
 こういう感情は、ひとだけがもつものではないのかもしれないと、あのはっとする瞬間がここに再現されているようだった。

 どうしてこういうふうに、ひとの目をくぎづけにできてしまうんだろうと思いながら、描いたひとガース・ウィリアムズというひとのものがたりを読む。

 <湯気で曇った窓ガラスに上手に絵を描>く少年は二度も戦争に巻き込まれながらもおとなになって、数々の作品を産み出してゆく。 
 4度の結婚を経験した彼の84年の生涯は、はじまりから途方にくれるような、波乱にみちたみちのりなのに、彼の視線はいつもあしたを向いている。
 そしてやさしくあることを、なにより信じていたひとなんだと思った。

 なにであれ、信じることはむずかしいしそれが一瞬ではなくて、永遠に近いじぶんが生きてゆく上での指針のようなものとして、存在し、信じ続けることは、もっと困難なことのように思えることがあるのに。
(信じ続けられるってほんとうにわたしにとっては勇気にちかい)。
 ガース・ウィリアムズはそういう状況を、とてもしぜんに受け入れているピュアなひとだということに、半ばうちのめされるように彼の人生の物語の一部に触れていた。

 とりわけ印象的だったのは、「しろいうさぎとくろいうさぎ」の創作メモの中に、togetherとalwaysとforever
<という言葉がくりかえし書き連ねられていた>という箇所だった。

 おさなかった頃にすでにかなしみという感情をからだやこころで、痛いぐらいに感じ取っていたガースにしか獲得できない、信条だったのかもしれない。

 たガースの描く線は、ちょっと指でこすったらたちまち指の先がくろくなってしまうんじゃないかっていうような、そんなプリミティヴな感じで重なっている。
 木炭鉛筆の持つ、素朴であたたかくてやさしいかんじが、ここからは想像というか夢想に近いけれど、ガースじしんのようにみえてきて、いないけれど、ここ、ここらへんにガースはいるんだなって、わけもなくうれしくなっていた。

       
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