その三九二

 

 

 






 







 




























 

まぼろしは まなこのなかを 巡ったままで

 辿り着きたいのにたどりつけない場所。
 ずっとそこに行きたかったはずなのに、辿りつけないことで、まるで存在していなかったかのように、まぼろしの域になる。

 そこにいるやさしい女のひとと、携帯で話をしたし、
ぜったいそこはあるはずなのに、まるではじめっから存在していないように存在している場所になって、じぶんのなかでなんんだか次元を越えたエリアとなって記憶されてしまった。

 倉庫のなかにあるギャラリー。
「左眼ノ恋」というタイトルの写真展。右目を失明したアラーキーさんの展覧会。
 エルスケンの写真集にちなんだ名前らしく、左岸を左眼にしたところが、せつなくていいなって思う。

 写真集「センチメンタルな旅・冬の旅」が大好きで、むかしむかし同じマンションで暮らしていたた俳人の恭子さんといっしょに、ページをめくっては、あれやこれやと、心酔しきっていた日々が思い返される。

 アラーキーさんの名前を記すだけで、なんていうか大阪で暮らしていたときのすべてが、ぐるぐると巡っては去っていくようで、なにをほんとうに思い出したかったのかわからなくなるほど、なにか大事なものが層になって降り注いでゆく感じがする。

 ひとつの眼を失っても撮り続けるアラーキーさんは、その作品を見えなくなった右目が捉えていたであろう、右半分を黒く塗りつぶしてプリントしたらしい。

 見えない部分は、もともとなかったばしょではないし、まぎれもなく存在している場所なのに、黒い闇が占めることで、みているものの想像や自由さを刺激する。
 たぶん、みていたらそういうことを感じたんだと思う。

 エアー写真展と名付ければいいのか、なおいっそうアラーキーさんの「左眼ノ恋」を探したくなる。
 奇しくも、たどりつけないことと、失ってしまったまなこが、清澄の町のどこかでしんくろしているようなそんな写真を描いている気分になっていた

       
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