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夕
ま
ぐ
れ
九
月
の
ね
じ
が
た
ち
ま
ち
ゆ
る
む
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さびてゆく ほころびのまま 佇みながら
郵便受けに新聞を取りにゆくと、ふわっと金木犀の匂いがする。
九月の終わりにも蝉は時々鳴いているし、時折まだ夏が終わっていないような気がするけれど、秋の虫よりもなによりも、金木犀の香りは、秋の刻印をじわじわと押された気分になる。
真っ黒いカマボコ型のポストは、月になんどかねじがすこしだけ緩くなる。
その度に、少し屈んだ姿勢のまま、4プラス1のねじを、プラスのドライバーできつく締める。
赤いブリキの大工道具箱は、祖母のもので、道具もいまだにそこの中にあるものを使っている。
大阪に一緒に暮らしていた頃は、この道具箱をいつも眼にしていた。
トンカチやねじ回し、茶色いサンドペーパー、シルバーのペンチに、いろんなサイズの釘のセットなどなど。祖母に一度ノコギリの使い方を教えてもらったことがあった。
<だめだめ。押す時じゃなくて引く時に力を入れるんだよ>、と。
今でも台所でカボチャを切るときも、知らず知らずにこの作用を利用して包丁を使っているじぶんの動きに気づく。
祖母はむかしに死んだけれど、こうやって生きている時になにかを教わったりしたことは、じぶんのなかに祖母が生き続けることなんだな、と思う。
2年ぐらい前、新聞配達中のおにいさんが、うちの前を
走っていた時、すっと戻ってきてくれて、ポストの修理に
苦闘しているわたしを見かねて、声をかけてくれたことが
あった。
すべての新聞を配り終えた夕方、少し暗くなってから彼は道具一式を車に積んで、やってきてくれた。
日曜大工は趣味みたいなものですからと、云ってくれた
ので、わたしは好意に甘えることにして、お願いした。
おしゃべりしながら、留まっていたねじをはずしたり今まであった場所からすこしずらしてまた新たにねじを射し込むための位置を決めたりした。
少し暗くなってから、ポストががしっと、収まる場所に収まってくれた。びくともしない。
素人仕事なんで、またゆるくなったときは教えてくださいと云った後、無償じゃないと店長に叱られますからと笑いながら、あわててわたしが手渡した缶コーヒーと共に帰って行った、あの日のあれこれを時折思い出す。
思いがけなく親切にされると、じぶんがそこにいることの理由がみつかるような気がする。
この間読んだ、ふるい短編小説の中に<夕方のなつき易い闇>という表現をみつけた。
あの日の空も、今日の空もちょうどそんな感じだった。
よるになるにはまだわかい、けれど闇に限りなくなじみ
そうなそんな夕方の訪れに、ちょっと惹かれて。
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