その四一〇

 

 






 








 













































 

むきだしの いっぴきに逢う たじろいだまま

 『久しぶりに、ウィレム・デフォーを観たいなという
気持ちが募って、'11年の映画『ハンター』を観た。
 舞台は、世界遺産にもなっている神秘の島
<タスマニア島>。
 彼はまぼろしかもしれないタスマニアタイガーを追うひとりのハンターを演じていた。

 獲物を求めてというよりも、ただひたすらに探し物に取り憑かれたように、山に分け入る。
 サバイバルだけれど、そこに派手なアクションはなにもなく、ひとり静かにむきだしの自然と対峙しながら、ゆくえの知らない獣を迎え待つ。

 彼が拠点とする間借りしている山間に住む血の繋がらない彼らとの関係も横軸にしながら、ハンターとしての姿が、描かれてゆく。

 その家族は、母親とまだ小さな姉と弟の三人で暮らしている。
 ハンターだった父親の帰りをいつまでも待ちながらいつもたいせつななにかを失ったままのかたちでそれでも、それぞれに地に足付けて、自然に囲まれて日々を営んでいた。

 獲物を捕まえに行ったまま帰らない夫であり父親を待っている彼らは、野山を彷徨い獲物を探し続けているハンターの心情に相似形のようにうっすらと重なるように見えてくる。

 「デフォーの演じるハンターは、戸惑いながらのその家族のもうひとりの父親のような存在になりつつもその役割にどっぷりとつからない。
 父親が帰らなくなってから失語症にかかってしまった下の弟バイクは、気がつくと無言のまま階段の隅にちょこんと座ってデフォーの側に寄り添っていたりして。
 彼の唯一の伝達手段は、ちいさな指で描いたいろとりどりの絵。
 とある軍事バイオ企業のちらしの裏に描かれた、タスマニアタイガーの表情はどこかぽつねんとして。
 寂しそうだけれど、尻尾に向かって続く縞模様が、いきいきとしていて、ずっとまぶたの裏に焼き付いて離れない


 エンディングに近いシーン。もう、ほんとうに見つからないかもしれないと思った頃に出会う、たった一匹のタスマニアタイガー。
 動物の眼がこっちを向いている。
 まぼろしだったかもしれない彼の眼は、どこか慈悲めいていて、銃をかまえているハンターの判断をそこないそうになるほど、さびしい力を持っていた。
 ハンターの銃に気づいた時、いっしゅんその生き物は雪の上で所在なげな足下を微妙にずらしながら、ためらい、たじろぐ。
 その一対一の向き合い方は、人と獣のものではなくて、
血の通った同じ言語を持ったものどうしの無言の会話のようにみえてきて、胸がしめつけられる。

 その世界にひきこまれてゆくうちに、人生をかけてなにかを探すことの孤高さに、まけてしまいそうになった。
 ハンターは獲物のいのちを奪うだけではなくて、それまでの道のりで積み上げて来たこころの負荷ともたえず向き合っているものなのだと、知って。いっしょにたじろぎたくなる。

       
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