その四一一

 

 






 




 












































 

真夜中は 沈黙とゆめ ないまぜにして

 窓を開けると、鋭くて、すぐ怪我してしまいそうなぐらい、とがった月が出ていた。
 そして、満月でもないのに夜の空は明るかった。
 ふいに、♪夜空ノムコウを思い出したりして、ひゅんとせつなくなったり。
 むかしはこうして、よくせつなさにずるずると簡単に負けていたのに、いまはほとんど打ち勝ってしまっている。 そんな頃に好きだったものは、いまはあまり興味がなくなってしまって、ひとはやっぱり本質的に好きだと思っていたひとやことも、なんらかのきっかけで変わるもんだなって思う。

 こんな夜中に窓の外で、かっしゃんかっしゃっと音がする。犬のIDみたいな鑑識札のようなものが犬が歩く度に甲高い音を立てる。
 ときおり近くに住んでいる弟のつれているチベット犬の
ちべという名の犬が歩く度に立てている音は、むかし飼っていたクロという名の猫が付けていた鈴の音に似ている。
 クリスマスの飾りのベルをクビから提げて歩くといつも、かしゃかしゃのなかにきんきんとした金属系の音が交じって聞こえていた。
 今、聞こえているその音はたぶん仕事帰りが遅くなった飼い主が、眠れなくなったついでに夜の散歩にでかけてきたのかなって想像する。

 むかし、広告の事務所で働いていた頃は、よく徹夜した。いつもおろおろしていたわたしのたてになってくれたすーちゃんと、よく徹夜した。
 遅い時間になると、なにをみても可笑しくなってきて、
ふたりで、おしゃべりしながら、時折なぎのように無言に
なって、えんぴつで原稿用紙にコピーを書いたりしていた
ころが、ほんのすこしなつかしい。

 徹夜はひとりではなく、だれかとするから楽しさがちがう方向にころがってゆくのが面白いのかなって思う。
 あまりよくしらなかったメンバーとも、同じ時間を共有したことで、ぐっと瞬間近寄った気分になる。
 誰かといっしょに夜を徹しているときは、そのだれかの
ことのなにかあたらしい部分を発見したりして、いつもそのベクトルは誰かに向いている。
 おもいがけず、やさしかったり。
 おなかがすくと、機嫌が悪くなるんだなって気づいたり。
 すごい、集中力でものを考えるひとだなって落ち込んだり。

 「
なんかふいに、いいひとたちだったなって思う。
 当時だって思っていたけれど、今、年を重ねてきてそういうことをとみにおもう。
 それは、もうどっかへいってしまえって心底思いながら
けんかした相手だって、うそみたいにいいひとだったなって思うことがある。
 ちっぽけだけれど、かけがえのないそんな瞬間で日々は成り立っているってどこかで聞いたことがあるけれどほんとうに、あの歌詞のように<あれからぼくたちはなにを信じて>きたんだろうという思いも、にわかに絡まりながら。

       
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