その四一八

 

 






 






 


















































 

わけもなく 哀しいなんて あれはまやかし

 いつも、なにかに追いついていないような気が、しきりにしてしまうことがある。
 その追いつこうとしている背中を見送っては、また明日を迎えている。いつもどこかでなにかを積み残しながら、残された荷物のことをちらっとよぎらせながら、眠りにつく。
 
 若山牧水のドキュメンタリーを観ながら、あらためて牧水の言葉と対峙するときの緊張感が、漂ってくるような校正原稿が映し出されていた。
 いまとちがって、いにしえの文人たちの校正原稿を拝見すると、その筆圧の強弱などからも如実にことばとどういう距離感でつきあってきたかが、わかって胸がざわざわする。
<白鳥は哀しからずや空の青海の青にも染まずにただよふ>
 はじめてこの一首に出会ったたぶん高校生ぐらいの時よりも、いまのほうが、いつまでも触れていたいそんな気持ちに駆られた。
 澄んでゆくあのそれぞれの青にさえ染まらない。
 放たれた一羽の白鳥をとりまくはりつめたすがすがしさに、つよく憧れた。
 こころの形は、ひにひにその一辺や点の位置を変えているから、抜き差しならない。
 
 なにかぼんやりとしたもやっとした思いは、こんなふうに、歌ではなくても詩のような形のものに出会ったときに、その輪郭があらわになるときがときどきあって。
そういうときは、昔から好きだったみたいに錯覚してしまう。

 そして、そして、いちにちがいろんな思いの中で終わって。

 眠りにおちる、準備をしながらも、今日もまたなにかを
追いかけ損ねたなって、思いながら。
 勝負師のある方の言葉を思い出す。
<みんなつかもうとする。だが、つかみにいくと、相手は
全力で逃げる。つかむのではなく触れるんだ>
 長針が、じゃなくて短針もいっしょになって、その背中を追いかけているような夢をみた。

 

 あのどこまでも澄んでゆく青にさえ染まらない
そんなじゆうとひとり

       
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