その四二九

 

 






 







 



























































 

時計草 記憶の中で 咲いては散って

 数字の意味みたいなものに、ちょっと取りつかれるとやめられなくなるところがあって。
 この間もミステリーの世界でのキーワードのなかに登場していたのが、3と5と72と10だった。
 なにげなく、聞いていたのに、その数字を携えているものが、むかし知っていた花だったので、なんとなくノートの片隅に書き留めたくなった。
 
ちいさい頃にくらした家の庭には、鉄棒があって。
その鉄棒もたぶん祖母の知り合いの大工さんが、これであそんだらいいよと、取り付けてくれたんだと思う。
 学校の運動場にある鉄棒にも、体育のテストでは、とても苦しめられていたので、あまり手に触れることはなかったけれど。
 そのそばに、母が育てていた時計草が咲いていた。
 とても不思議な形をしていて、どれのことを花びらとよんでいいのかわからない、しゅっとした細い糸に似たものが、花びらと呼ばれる場所に位置していた。
 よくみると、その花の成り立ちが時計の文字盤に似ている。
 でも、どちらかというと、人を拒んでいるような風情があって、凛と咲いて凛と枯れていった。
 決して好きだったわけではないのに、その花の印象だけは覚えていて。
 ひさしぶりに、その花の名をミステリードラマの中で知った。

 時計草は、パッションフラワーと呼ばれていて、花の構造がキリストの受難の十字架のようだから、そう名づけられていると、主人公が語る。
<3は十字架の釘の、5はキリストの傷、72は、冠のとげの数>
 それが、3個の柱頭、5個の葯、72本の花糸、10枚の花弁になぞらえられて。
 そんなセリフを耳にしながら、ふとむかし暮らした家の庭を思い出したのだった。
 どこか人を寄せ付けないあの姿と、そんな名前の由来が、相似形のように重なってゆく。
 もうあの花の姿は、とうのむかしにそこにないけれどやっぱり記憶の中で咲いている花っていうものがおもいがけないかたちで、立ち現われてくることに取り囲まれながら。

       
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