その四三六

 

 

 




 







 



































































 

すきとおる 羽根をみている しづかしづかに

 駅のちかくにあった、「無印良品」のお店が終わることになって。
 いつもいつも贔屓にしていたわけじゃないけれど、おわるんだなぁって思うとすこしだけからっぽな気持ちにもなる。

 なじんだ風景がまたひとつどこかへと消えてしまうことは、すこしだけ記憶とか、かすかな思い出いっしょに、どこか遠くへしまわれてしまいそうな気持ちにもなる。
 そういえば、あの店の一階は昔、お花屋さんで。
 重たいガラスの扉を開けて入ってゆくと、整然と大きくて深いバケツに切り花が並んでいた。

 あの濁りのない空気がもたらす冷たさは、ほかのお花屋さんではあまりないぐらい、印象的だった。
 切り花はいちど死んでいるのに、そこにいのちをふきこまれたものたちの、なんていうのか凛としてたっているたたずまいそのもののような気がした。

 なじんでいたものや場所は、いつかかたちを変えてしまうものだし、いつまでもいつまでもっていうわけにはいかないのが常だけれど。
 もうそういう街の変化をずいぶんと、目にしてきたような気がする。いまある姿だけが、その場所だと思いがちだけれど、そのひとつまえまたひとつまえといくつものすがたがそこに重なっているものなのかもしれない。

 それはいまだれかを見ているときに、ずっとおじいさん
やおばあさんやそのまたおじいさんっていうふうに遡るのと似て。ひとも、いくつもの血がかさなりあうようにしてできあがっていることにいまさらながら気づかされる。DNAっていうものはそう思うととても情緒的なものなんだなって。
 
 家に帰る途中で、前を歩く男の人のTシャツにちいさなヤゴがくっついていっしょにゆれていた。
 とんぼのまえの姿がそこにいることの不思議。糸よりも細い節のあたりは碧色で、羽根はうそのように透きとおりながら、そこにいた。
 

       
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