その四三九

 

 

 





 







 



































































 

うまれゆく ひかりがさらう つみとばつさえ

 あちらこちらで、ひかりが生まれているような。そんな錯覚にとらわれながら、ひさしぶりに秋の海を見に来ている。
 あたらしい波がうまれる度に、秋の光とともに、ひかる生き物の誕生に立ち会っているかのようで。
 じぶんのりんかくがふわっと消えてゆく。
 じゆうだなって感じる。
だれも所有せずだれにも所有されず。
 ただそこにいること。
 
この間、知った石牟礼道子さんの一句を思い出す。

<さくらさくわが不知火はひかり凪>
 
ひかり凪ってなんだろうって思っていたら
「まるで、一枚の光の布のように海がみえること」らしく、とてもすてきだなって思った。
 大切にしておきたい場所、人、出来事。
同じ場所でみている海ではないけれど、その句に描かれた世界観が、波をつうじでこちらまで伝わってくるような気がしてくる。

 さっきのさっきまで思い悩んでいたことも、ちゃんと
波がさらってゆくふしぎ。そうやって解放されてゆくうちにこれが、じゆうってことなのかなって思いながら、電車に揺られる。
 あの海のずっとずっと向こうへのつよい憧れが、ふつふつと過りながらふと長田弘さんの詩がちらちらと、頭のどこかを過ってゆく。
<自由とは、どこかへ立ち去ることではない。考えぶかく
ここに生きることが、自由だ。樹のように。空と土のあいだで>
 ちゃんとたしなめられながらも、どこかこことちがう場所への思いは最近とみにつよくなっていることも捨てがたく。車窓から海をみつめつつりふれいんする。
<樹のように。空と土のあいだで>、と。

       
TOP