その四四一

 

 

 






 







 





































































 

一年後 いまでもなにかを さがしたままで

 途方もなく山積みになった、ジグソーパズルのかけらたち。どこからとりかかったっていい。
 だけど、いったいどこから? ってしゃがんでしまいたくなりそうな、そんな時間。
 ジグソーパズルって、「はしっこから攻めるよね」って、誰かが云って。
「ちがうちがう、断然まんなかからだよって」まただれかが答える。

 でもすこしピースが、かちっとはまって、風景の一部、たとえば雲のふくらみと空のどこかとか、なにか、みえてきたかもしれないって思う瞬間にいざなわれて、ちょっとやるきが出てきたり。

 「1ピースはまると、1ピース風景が変わる」っていう、珈琲の広告のコピーをずいぶん昔に読んだことがあって、ふいにそんなことを思い出す。

 そこにたったひとつの正解のかけらたちが、隠されているのに、それがなになのかまだわからない時。
 とりあえず、「いっぽでも足を前に出して」っていうことなのかもしれない。

「作ったひとの顔がみたい」だとか、「ほんとうに完成なんてするの?」とか「あたましびれてきた」とか云いながら、みんなでパズルに精をだしながら、ふとみると、たったひとりのだれかが、黙々とパズルの欠片を根気よくあてはめながら、パーツを完成させてたりする。

 そういうことかと、わたしは想う。
 いやになるほど永遠を感じる物事だって、だれかはなにかに、もくもくしずしずと取り組んでいる人がいるものなのだと。
 みんなでなにかひとつのことをつくりあげる。そんなよろこびにみちていたことが、ふいに甦りながら。
 いまも、ジグソーパズルのひとかけらをあきらめないいろんな人達の顔が浮かんできて、ちょっと励まされたりしている。

「1ピースはまると 1ピース風景が変わる」って、あたりまえのようで、ちょっとみらくるなことばだなって。
 風景をかえてゆくのは、みんなとじぶんであることがなんかいいなって思っていたら、かけらを指にした人が「ひとつひとつはすっごく似てるのに、ちょっとずつちがうんだね」って声が聞こえてきて、それはそこにいるみんなのことのようだと思った。
  

       
TOP