その四五四

 

 






 







 






















































 

秒の束 砂のましたに あてはめながら

 髪をずいぶんと短く切ったら、おそろしく耳が寒くて、十年ぶりぐらいに風邪を引いた。
 美容院に行くと、落ちてゆく切り落とされた髪がじぶんの過去をまとった残骸とさよならしてるみたいにみえてきて、すっとする。

 この間、福岡伸一さんのエッセイの中で、まるでわたしが知らなかったことをピンポイントで指摘されたようなことが記されていて、びっくりしたことがあった。

 そこには化石のことが書かれていた。わたしは化石とはある生きていたものがそのまま固まった物だと信じて疑わなかったのだけれど、まったくそうじゃないことをそのエッセイの中で教わった。

 ほんとうは化石は<貝や骨が、海の底のやわらかな砂地に埋もれ>、その<砂地は堆積した圧力で徐々に硬い岩にかわる>と、やがて<海底は地表に出る>という営みを繰り返しているらしく、そこでかつての貝や骨はどうなるかというと、<まわりの岩に比べると脆いので徐々に壊れてゆく>のだとか。
 そして壊されていった貝や骨が埋まっていた場所に
<別の鉱物がゆっくりと入りこんで>。
 とここまで読んでいて、謎だらけのおおきな穴に迷い込んだみたいな気分になってゆく。
 そこで、そこにあてはめられていった隙間は、
<まわりの岩とは異なった鉱物で充填されてゆく>。

 化石は遺骸そのものだと信じて疑わなかったので、それは<かつてそこにあった生命の「記憶」>という文章に出会って、なにか遥か彼方のいのちに触れているような気持ちに駆られた。
 かつてなにものかであった生き物がほかの自然の力を借りて、計り知れない時間を味方にその証をあらわにする。
 隙間に注がれてゆく時間が、わたしの目の前にある時間
とはまるでちがう生き物のようにみえてくる。

       
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