その四六六

 

 






 







 






























































 

ゆるやかな せなかのかたち きおくのかたち

 いつだったか、ショッピングモールを歩いていた時になにげなく入ったお店。
 雑貨やさんのような本屋さんのような、ゆるやかなコンセプトのお店にふらっと立ち寄った。
 キッチングッズやステーショナリーなどを、ちらっと見ていると、いっしょにいた人が、なにかをしきりに読んでいたので、覗いてみた。

 それは誕生日にあわせた絵本を選んでくれるコーナーだった。いっしょにいた人がおよそそういうものが好きなタイプだとは思わなかったから、ちがう一面をみたみたいで、わたしはただただ面白がっていた。

 おまえはこれって云われて差し出された本は、「長くつ下のピッピ」だった。「世界一つよい女の子」ピッピ、親としべつしたピッピは子ザルと馬と一緒に<ごたごた荘>で暮らすことになるのだけれど。
 みずがめ座とその童話がどうむすびついたのか今となっては忘れてしまったけれど。
 その人の星座を表している本がなになのか知りたくて肩越しにのぞくと、ほんとうに似つかわしくない「クマのプーさん」だった。
 こういうのってほんとでたらめだよねって云いながらも、その人の生まれたさそり座を表す本が「クマのプーさん」だったことだけは、なぜだか忘れずにいた。

 それから何年も経ってその本を、開いて読んでいた。
「プーがなにかばかなことをすると、それがばかなことじゃなくなるんだ」って、友達の子ブタが云う。
 わたしは、プーさんじゃなくていつのまにかあの人を重ねてよんでいた。そういうところあるるって思いながら。
 そして、まえがきにある「動物園にいくと、ほんとうに
いい人たちは、まっすぐ、自分のいちばんすきな動物のところにいって、いつまでもそのそばにいるものなのです」
という件をよみながら、記憶と感情がおろおろした。
 なにげなく立ち寄った星座と童話のマッチングのあの店の光景が浮かんで消える。困ったとき、いつもそばにいてほしい誰かがこの世をあとにしてから知って、わたしはプーさんのなかに誰かの面影を探すみたいにページをめくっている。

       
TOP