その四六九

 

 




 






 































































 

言葉だけ わすれた夜に うぉんと啼いてる

 ガラス器具でつくられた透明のトンネルをカタツムリが歩いてゆく。
 それも満月の夜には、東に。
 新月の夜には、西に向かって。
 そんなうそみたいなほんとうの話を読んでいた。
 
 アメリカの マサチューセッツ州にある海洋生物研究所での実験。
ある女性の学者さんがカタツムリをガラスの器具の中で一匹ずつ広場へと這い出させるという実験の過程で、そんなことを発見した。
 そこで実験をしていたその学者さんが他の大学の教授のアドバイスを受けて、カタツムリの習性がわかったらしい。
 あのユーモラスな彼らは、<地球の磁力を感じとる能力がある>のだとか。
<カタツムリの体内には、そんなセンサーが内在しているのかもしれない>と。

 そういえば、ずいぶんむかし思いがけない人に出会ったのも満月の夜だったことを思い出す。
 今思い出しても、月のしわざだったとしか思えなくて。はじめて会った8月にふたたび、あの時間、あの書店で。
 
 日常が他愛なさすぎて、どうにかしたいと思っていた
10代の頃、月ばっかりみてるとルナティックな気分になるよって言われて、わざと月ばっかりみていたことがあった。
 それからそれから時間がおそろしく経ったけれど。
 日常の中のほんのひとさじの奇跡は、いつもあるものじゃないことを知っているせいか、そういうことをいつまでも覚えていたりする。
 
 さっきまでみつけていたすきだった本のなかのあるページが、どこかちがうページにうかうかしているあいだに、その大事だった箇所がどこにあったのかわからなくなって、みつけられなくなるときみたいに。
 過ぎてしまうと、人と人との出会いも、まるで本の中のうずもれてしまった、たったひとつのページに似ているような気がして。

 

 


 

       
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