その四七六

 

 






 







 

































































 

赤い月 沈んでゆくよ 夜の彼方に

 異国のことばに触れていると、とてもしんとしたさびしい気持ちがおそってくることがある。
 どこにたどりつこうとしているのかさえわからない、でもたどりつかなければ終われないような。
 そういう経験をここ3か月ぐらい味わっていて、なかなかそういう状態をそういうものだからと、腑に落ちるというところまではいっていないけれど。でも、なんとかたどたどしくもたどりつくと、かつて知らなかった清涼感につつまれる。

 こういう経験は詩を読んでいても時々、訪れる。
 大好きな木坂涼さんの扉の後ろのページ「心寄せる人に夜手紙を書いてはいけない」という第一行目から始まる『夜の水』。
 それは、「そんな言葉を思い出している手でアボカドの種を洗う」とつながってゆく。

 木坂さんの詩を好きになったのは20代の頃だったけれど、それからずいぶんと時間が経ったのに、いまも彼女の詩に囚われている時は、ひそやかな思いが襲ってくる。
 ただただ、ここにいるのはじぶんひとりのような気がして。寝室からとつぜん火星へと放り込まれてしまったような、不安とかすかなのぞみがしのびよってくるような。

 それは今年のスーパームーンを見損なった日の夜のことだった。
 大好きだった人のお命日だったから、その1日はいつもより丁寧に暮らそうと思っていたのに、あまりそれができなくて。
 なにもみえない空をみて、詩をよんでいると、なんとなくあの人を呼んでいるみたいな気持ちになってきて、なおさらこころがしんとした。

 

 

 

 

       
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