その四八二

 

 






 







 




































































 

しんじると しんじないとの あわいを縫って

 洗濯物を干しにゆこうと思ってふと部屋の壁をみると、レースのカーテンを通して光が射して、まるいふたつのわっかの影が重なっていた。
 輪の正体は、2本のマニキュアの容器のてっぺんの〇だった。なんてことはないのだけれど。 
 あって思って、ベランダから戻ってきた時には、もうそれは跡形もなくて。
 ひかりと影がタイミングよく出会った時にしか、あらわれないことに気づいて。
 ちょっとだけその一瞬を惜しむ。

 北国に住んでいるわけじゃないけれど、冬は日差しがありがたくって、そのうえおまけに影絵のような現象にであえると、うれしくなる。

 この季節になると北国に生まれたひとからお聞きした話をなんとなく思い出す。「朝起きて、窓を開けるとね、2階からみた景色が、まっすぐ白い道が続いているみたいなんだよ」
 雪が2階の高さまで続いている日常をわたしは知らない。
それはいつかどこかでニュースでみかけた映像のようなのに、どこか違った。この季節になって思い出すのは、ニュースの雪国の風景ではなくて、そのひとから話を聞いた時に描いていた映像そのものだったりする。
 そのひとの声で覚えているから、その情景は、いつまでもわたしのなかでリアルなのかもしれない。
 「冬が過ぎても春近くになってもその景色は変わらないから、まっしろの世界が夏まで続くんじゃないかって。ずっと閉じ込められてるみたいなふあんな気持ちになるんだよ。北国の人間はみんな少なからずそういうとこ、あるかもしれないけど」

 だれかの声に耳をかたむけたり、じぶんの声をそばで聞いてくれるひとがいると、ほんのすこしの間だけ世界はそんなにわるくないと思える、瞬間がおとずれる。ちょっと魔法にかかったようなささやかな時間だけれど。

 

       
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