その四八五

 

 






 







 












































































 

ひもとくと こころのかけら てのひらのなか

 なにをどうすればいいのか、わからなくていまはなき昔から好きだったPR誌を、開いてみる。
 どこからかやってきたのかわからないけれど、惹かれてしまうざわざわするような写真を眺めていると、すっと呼吸がらくになってくるような気がする。

 1月はなんとなく公私ともに、あまり体験したことのないような感情の忙しさに取り囲まれていたので、ひろいところに立ちすくんで深呼吸したくなった。

 もう言葉はいらないとか思っている矢先にしらない人とすこし挨拶を交わしているだけで、気持ちがすっと心地よい方向へと移動している時に似て、すきな本や雑誌や写真集はこころのよりどころを、教えてくれる。

 この間、大好きな役者さんがたまたま拙著を、とある場所で朗読してくださったことを知って、うれしくなって、すこし過去を否定したいような気分に光が差したような気がした。

<余計な感情を注入すれば言葉が濁る>
 という言葉をその役者さんが上梓されたご著書の中にみつけた。
 それはコミュニケーションするとは、どういうことかということが、綴られている、俳優のための入門書だけれど。現代を生きるひとびとすべてのひとの、気持ちのささくれみたいなものをそっと取り除いてくれるような、
魅力に包まれている。
 言葉は肉体なのだと気づかされ、<言葉は伝える>ために存在するのだと教えてくれる。
 理解してくれないひとをなんとなく、視野からはずしてしまいがちだけれど。からだとこころのバランスがぴたっとパズルのおしまいの一片のようにあてはまったときに、言葉は伝わってゆくものなのかもしれない。

       
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