その四八九

 

 






 







 










































































 

くらやみが ひかりをだいて 問いかけるとき

 真夜中。まよなかはみんなに訪れるのにいまそのことが、まるでラジオの声を耳にしている時のように、じぶんだけに訪れている気持ちになる時がある。
 今日起きたことが、どんなにたいへんなことであろうとも<たったそれだけの話>と思える瞬間があれば、いい。
 ちゃんと忘れてゆくことができる時間を確保することも、おとなになると大事になってくるのかもしれない。
 幼稚園の時、はじめて<線路は続くよどこまでも>を知った。
 その歌詞を聞いた時、まだまだつづくのかって思ってこれからどこかへとつづいてゆくことに、ちょっと、おびえたのかもしれないし、団体行動がおそろしく苦手だったわたしは、そのどこまでもつづく線路にそってどこかへと逃げたくなっていたのかもしれない。

 この間もふいにどこかのお店のテレビCМからその曲がながれてきたとき、ほんのり苦い思いが甦っていた。いまだに逃れることにあこがれを抱いているけれど。そんな思いにかすかに手を差し伸べてくれているのが真夜中という時間なのかもしれない。

 フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』には、まるでトムよりも真夜中じたいが主人公のように描かれている。主人公のトムは弟が麻疹に罹ったので、おじさん夫婦の家に預けられる。とある夜、眠れなかったトムは、下の部屋に置いてあるおおきな時計の鐘の音を聞いていた。その時、ちょうど12時だったはずなのに、それよりもひとつ多い13の鐘を打つ。トムは勇気をだして下の階へ降りてゆくと、いままでそこになかった庭が明るい光を射してそこにあった。まるで呼吸をしている生き物のように時間が、突き進む。<闇は光が修復できないものを復活させる>という言葉を教えてもらったことを思い出していた。まよなかは、ひとのこころの傷をゆるやかに治癒してくれるものだったらいいなと、おぼろげに願いつつ。

       
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