その四九一

 

 





 






 














































































 

かけてゆく かけてゆくけど 届かないひと

 4月はなんとなく「歩く」だなって思う。
新入社員や新入生やいろいろなはじまりの季節だからかもしれない。

 晴れている時と雨が降っている時の足取りは、目的地がおなじでもどこか違っているし。
 気乗りのしない集まりの場所に行かなければいけない日と、気ままにふるまえる日ではぜんぜん足の運びもちがうんだと思う。

 猫の足もほんとうに、嘘がつけないっていうか。エサちょうだいの時は、こっちを追い抜いていそいそだし。
 病院に行くときは、地団駄に似た抵抗の足元を見せたりする。

『午後8時の訪問者』っていう映画の監督を務めるダルデンヌ兄弟のお兄さん、ジャンピエールさんが云っていた。
「人が歩く姿には、その人の内面が表れてくるんです。視線はどこに持っていくか。顔の角度はどのぐらいか。歩くリズムは思考のリズムそのものなのです」

昔、空港で待ち合わせしていた時、その人が足早に掛けてゆくのが見えて、はやく声を掛けなきゃって思ったのに、なぜかその背中を見ているだけで、名前を呼べなかったことがあった。ストライドの広さとまっすぐな視線と。そのふたつが重なって、待ち合わせ場所へと急いでくれていることへのうれしさとなにかが微量に入り混じったような感覚。
 父親のように慕っていたその人に軽く口答えした時、「どんな生き方であっても、これからもおまえは、歩いていくんだろう。ちゃんと歩いていけ」って云われたことがあった。
 道を歩くという日常も含めて、広い意味での「歩く」だったと思うけど。ちゃんと歩いてきたのかなわたしはって、思う。ほんとうにそのことばが身に染みて、心のあちこちに響いてきている気がする。

       
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