その四九三

 

 






 







 















































































 

ひたすらに 土を感じる 足裏の記憶

 いつものバス通りを横浜方面に向かって走っていると、ほんの何分もしないうちにたどり着いた<俣野庭園>。
 森林浴のようなものにすごく興味があったわけじゃないのに、そこに足を運んだ途端になにかとても解放された気分になった。

 だいたい、じぶんのテリトリーは狭いのだ。棲みなれば場所からはあまり動きたくないし。たまに喧嘩はするけれど、できれば、議論なんてしたくない。だから、生きているものたちの自然の膨大なエネルギーに気おされるんじゃないかと、そこに誘われた時、そんなことを思っていた。
ゴールデンウイークのはざま。その日はとても心地いい風がふいている朝だった。

 ゆるやかな坂道をひたすら歩く。まわりの樹々は緑で。ここに囲まれているとたちまちさっきまでじぶんが辿ってきたみなれた場所が、ちゃんと去っていることに気づいた。

 やまぶきの黄色がまぶしいほど目にとびこんできたり、ミヤコワスレがひっそりと咲いていたり。
 ウグイスの姿は見えないけれど、鳴き声が触れられそうなぐらい近くて。
 こんなふうにしぜんに取り囲まれたことってひさしぶりで。歩いている間、ただただ、なにも考えない空白のような時間が訪れていた気がする。だからかどうか、今ここに何か綴ろうとしたとき、花の輪郭のことは思い出せるのに、なにを感じていたかなんてひとつも記憶の中から抜け落ちているのが、ほんと爽快だった。
 つながっていたものを、やわらかくこばむと、あの緑の庭園に息づいていたものたちと同じ位置にいる、同列のいきもののひとりにかえってゆける気がする。

       
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