その四九四

 

 






 







 

















































































 

みちのうえ みちをはずれて 左折するとき

 2年前の手帳を紐解く。
2015年のネイビーブルーの手帳のページを開くのはほんとうはすこしこわい。

 もうすでにそのときを知ってしまったわたしは、その日付がいつだか知っているから、そのページ以前にだけ目をふれるようにしてページをめくる。

 過去のものを紐解く行為は、例えば映画の結末を知らされている観客が、まだ見ぬ時間を過ごしている登場人物になにか予期せぬことを回避するために、その道は通らないでと伝えてあげたいと思うことに似てるのかもしれない。

 ふしぎな感覚におちいりながら、やっぱりその日のページを開く。
 なぜかその日から5日前の欄には、<戦士になるものは、逃げ方を学べ>と記されて。
もうひとつハワイのことわざ、<星は天国のスパイ>という言葉も綴られていた。

 それが暗示なのかなになのかはわからないけれど。たぶん、天国というキーワードがどこかじぶんの中でくすぶっていて、記しておきたいと思ったのかもしれない。

 そしてその日がやってきて、空白のページがいくつか続く。その日とパリの同時多発テロの日がおなじだったこともあって、あの事件で、妻を失われたアントワーヌ・レリスさんの言葉に続いて、ドラマや映画の中の死に対する台詞が書き写されていた。
 <現在の“時”も過去の“時”もおそらく未来の“時”の中にある。そして、未来の“時”は過去の
中にある>というベートーヴェン弦楽四重奏を謳ったエリオットの詩の言葉を、4月に見つける。
 11月の哀しみは、この4月の言葉のなかに包まれていることを知った。それを救いと呼んでいいのかどうかはわからないけれど。はじまりがどこかわからない大きな円環をぐるりと想像してみる。

       
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