その四九五

 

 






 







 

















































































 

ひとびとの まつげのうえに ひかりたたえて

透明なガラスのコップのふちにそって、詩が刻まれてる。内側に液体が注がれてゆくときのように。
右側からも左側からもフィンランドの言葉で紡がれたいたずら書きみたいな詩とコップの写真をみていた。

<夏はどこもかしこも光にあふれ、白夜の夜は遠くの気配すら聞こえてきます。
水面には静寂が宿り、涼しげで>
 誰の作品なのかよくわからないけれど、訳された言葉を追いながら、まだ訪れたことのないフィンランドの光を想い描いてみたりする。

 一連の写真のいちばんはじまりには、白い大きなドアに、重なり合う樹々が風に揺れている影が映っていて。
 そのひかりのいろは黄金色をしている。

<岸辺では、夏至をお祝いするかがり火が、太陽に寄り添うように煌々と燃えています>
 
まだ夏至が訪れていないこちらも、春はひかりなんだなって、この間、ちかくの森を散策しながらそんなことを感じていた。
 
 森にたたずんでいると、光のとどかないところと光にあふれているところのバランスが心地よさを運んでくる気がする。
 今頃あの日、庭園を散策していたときのりあるな気持ちに気づく。平面のなかのコップにうつりこんだフィンランドの光の写真をのぞき込んでいるいま、追いついてきたのだ。
 かえがえのない体験はは時間を経て、どこか酸化してゆかないとちゃんとじぶんのものになってくれないんだなって、とりとめもなく思いを馳せながら。

       
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