その五〇一

 

 




 






 



















































































 

いにしえの 息のかたちを 手繰り寄せても

 ちょっと、見失いそうになる。
 すぐすぐ気が散って、いま考えていたことが、すぐにはらはらと散ってしまいそうになって、それをあわててかき集めたときは、こんなんだっけ、わたしが、うしなったものはって、我に返る。

 それはなにも見ていなかったからかもしれないなと思う。
<なぜなら、この世の中には見えないことがあふれているからだ>という文章に出会う。

 花火の後の夜の海をじっと見ていた。
 空にいくつか咲いた火の花は、描かれたあとたちまち消えて、目の奥の残像だけを頼りに、さっきまでの時間を思い起こしている。

 残像のことはあきらめて、海の水面に視線を放つ。
ゆっくりと漂いながら、まわりの闇を引き寄せて、光をまとっている。
 光が失せているはずなのに、海とはちがう別の生き物が水面に浮かび上がっているかのように、波のまにまに闇が集まっている。

 潮の匂いにまみれてる風を吸い込む。
 この間、聞いた言葉が忘れられない。
<羊水から赤子時代に吸った微量の残気のように>
いますこし残気を引き連れている場所に立っているような、感覚におちいりながら。
 海の風を吸って吐いて。
 にしえからの呼吸を、とぎれることなく、引き継いでいるような感覚にとらわれる。

 もういちど花火が咲いていた空を再生してみる。さっきみたはずの映像はすぐに消えてしまったのに、むかしむかし、夏の鹿児島で祖父と手をつないでみた、花火のシーンが甦る。
 ぶあついてのひらとすこしくるしそうな呼吸があいまって。残像が消えないように、瞼の裏にきざんだ。

       
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