その五一四

 

 





 







 





























































































 

風の吹く 岬あたりに 置き去りにして

 紙の上に走り書きしたまたそのうえに、やむをえず、走り書きしなければいけないような、ちょっとせっぱつまった時があって。
 この文字を重ねてしまう行為が、上書きとも違う気分を引き寄せてしまう。
 でも、いま書きたいことをぐちゃぐちゃの字でもいいから、とどめておきたい。
 そんなこころの輪郭がくっきりしたりしていた1月。つまり、すこし落ち込んでいたのだ。
 これは今に始まったことじゃない。去年もそうだったし、きっとその前もそうだったと思う。
 
 あほらしいようななやみをだいじな宝物のようにかかえて、背中をまるめて歩いている感じの時に、なんだか、笑えるような言葉にであった。

 新聞の料理についてのエッセイをよむ。
彼は疲れて帰ってきても、料理することはそんなに面倒くさくないのだと綴られていて。
 料理の良しあしは、要は素材のよしあしじゃないかというところにたどり着きながらも、彼じしん、料理の腕前を疑ったことがなかったことに気づいたという、ところまで読んでいて。
 とつぜんそのことばはあらわれる。

「自信に根拠を持ってはいけない」、と。
 根拠のない自信をもったことはなかったけれど、なんだかこの言葉を聞いていて、笑ったと同時に、すかっとした。心のどこかにたえずよぎっていた雲が、風のつよさで遠のいていったときみたいな感じだった。

 根拠なんて。どうして求めるんだろう。根拠さえあればいいなんて、ほんとうは妙なことかもしれないって納得した。

 こういうふうに、わたしはこういう言葉に出会ってそれをごく親しい人にこのことを話していたら、ちょっと気分、晴れっぽいねって気分になってきた。
 ことば、だいじだなって思う。
 ふいにであうから、ほんとうに雑踏で人とうっかりぶつかったときみたいに、どきっとする。 

       
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