その五一六

 

 






 







 




























































































 

沈黙を つらぬいたまま みんなで歩く

 もういいよ、まぁだだよ、って子供たち。
 きっと、ずっとまぁだだよって言いたくなってのばしのばしに、いまいる場所から離れていく。

 声がどんどんちいさくなって、目隠ししている人はふあんになってゆく。っていうのはたぶん
ちいさいころのじぶんの記憶かもしれないけれど。

 もういいよってじぶんは思っても、たぶん大事なひとにはもういいよって思ってほしくないんだろうなとか、思ってみたり。
 もういいよ、まぁだだよって。
 よくよく考えてみると、いろんなものがつまった、ことばだと思う。

 もういいよって、ほんとうはなにがいいだろうって。
 まぁだだよだって、なにがまだなのか。
 子供がなにげなく遊んでいる時のむかしからの遊びの言葉って、すこしだけ遠くてこわい。

 そこにはちゃんと待ってくれている人がいるっていうことの証だから。もういいよのあと、まぁだだよが、聞こえなくなったとき、突然の雷みたいにおそろしくなるんだと思う。

 かぎかっこの中に住んでいた、ことばたちが、かぎかっこをはずして、どこかにゆきたくなるとき。
 もういいよが、言葉を脱いでそこから離れる。
まぁだだよも、言葉であることをやめて、ふらっとどこかへと、とびだしてみる。

 子供たちは、すぐに飽きるからもうその遊びはやめにして、ふしぎなステップを踏んでふりつけごっこをしていた。

 風のまにまに聞こえるのはどこかで誰かが呼んでいる、だれかの名前だったりして。夕刻チャイムの鳴るころ、きまって、いっしゅんさびしいなにかが追いかけてくるような気がしてしまう。

       
TOP