その五二十

 

 




 






 
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伝えたい 言葉まとって かそけき羽根は

 3月7日。
 荷物があんまり重いので、夜のタクシー乗り場でタクシーが来るのを待っていた。いつもならそこについているはずの電灯が、なくて。すこしくらくて、とても寒い夜だった。
 ふいに、高架下のあたりから黒いひらひらとしたものが、ふわりと風に流されたかと思うと、瞬く間に、梢の中に入っていった。

 一緒にタクシーを待っていた人と、今のみた?
 あれってもしかして、蝶?
 って話しながら、こんな季節にいるんだねって、不思議な感じに浸りながら、列にならんでやっと順番が回って来てタクシーに乗り込もうとした時、もういちどさっきの黒蝶がふたりのそばまでやってきて、ふたたびこずえの中に消えていった。
ちょっとふしぎな感覚に包まれたままふたりでシートに座る。

それからほどなくして、清宮質文さんの、『蝶』という木版画を見る。
 1匹にも2匹にもみえる蝶が中央にいる。
 まわりにもあぶくの様な粒々たちが彩っている。
 うつろうものを好んで描いたらしい彼の作品をみていると、なにか儚いものを一枚に込めてしまいたい気持ちに駆られているその思いが、みえてくる気がしてくる。

 それをみながらあの日みた蝶を思い出す。
 おもいがけなく、ふたりの前に現れて、去ってゆく黒蝶。
 闇が濃い空間だったので、その姿は舞っている事と、空間に溶け込んでしまうことが、同じ次元で、起きているように思えた。

<人間がかつて何百万年か以前に始めて自らの心(感情)を意識したとき/それは『悲しみ』ではなかったろうか>という清宮氏の言葉が残されているという。

 その言葉に7日の出来事を重ねてみる。
 あの蝶はやっぱり、意味を持った輪郭をなしてふたりの前に現れてくれたのかもしれないなって指折り数えながら、思っていた。

       
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