その五二十二

 

 






 







 


































































































 

ぼくはここ あなたもそこに いたんだね、では。

 少し前に買った長い形のサイフ。
 はじめての赤だったので、少しだけ、とまどったけど。
 母もそれがいい。断然赤が言いっていうから、そうかもって思って、ちょっと頑張って持つことにした。

 赤はなんだかじぶんじゃないような気がして照れてしまうのだ。だれもみていないというのに。
 で、案の定。これはわたしのだよねと確認しないと、しばらくは少しみょうな感じだった。
 おまけに、仕様がいままでとちがうから、レジでお金やらポイントカードやらを出すときに、あたふたしてしまう。
 でも、決してきらいなわけじゃなくちゃんとすきになりたいのに、まだまだじぶんのきゃらが追いついてない感じが、おかしいらしく、母もそれをみるたびに笑う。

 ふわふわとした気持ちでお店に置いてあったページをめる。
<ものはてれくさくないようにそっと置く>という見出しに惹かれて読み始める。
 器のお店の取材記事だった。店主はスタイリストとして活躍されていた方だ。<あるひとつの器が売れて>次の器をそこに置いた時、一点ものなのでなんとなくそぐわないときがあるらしい。そんな時オーナーの彼女は、そのものが<しっくり来るようにカウンターの位置まで変えてしまうこともあるのだと>か。

 そんなものとの対峙の仕方ってもしかするとスタイリストという職業独自のものかもしれないけれど。なんかいいなって思う。ぴたっとあてはまる場所をいちばん知っている人なのかもしれない。
 こんなふうに仕事が日常につながって、ていねいに暮らしているひとにあこがれる。
 もののあるべき場所ってあるんだなって。
 それがなじむってことなのかもしれない。
 ひとでもものでも。
 視線がやさしいってなかなかできないことだけれど。
 で、長いサイフ。
 あれから少し時間が経ったので、今は鞄の中にあっても
レジでもずっと前からじぶんのものだったようで、手にも
なじんできた。
 なじむって時間のことなのかな? って思ったりしてみた春の午後です。

       
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