その五二十六

 

 






 







 


































































































 

握るから 逃げてゆくんだ 砂も記憶も

 雑踏でひとり口笛を、ふいているひとがいた。
 男の人で、スーツでちょっとすれ違う時いい香りがした。
 なんのメロディだったかはわからなかったけれど、仕事帰りのひとはたいてい、疲れている風情だし、足取りも重かったり、ちょっといらいらしていそうだったりするのだけれど。
 その人は、どこかうきうきしていた。
 うきうきは伝染するのかなって思っていたけれど、そういうことはなく。
 歩いているうちにいつもの日常にまぎれていった。

 駅のターミナル近くでは待ち合わせの人が多くて、ひととひとのあいだを縫ってゆくのも大変なのだけれど、馴染んだ街を歩いていると、ぜったいてきな安心感があることに、気づいたりする。

 すぐ売り切れになるうなぎ屋さんが近くにある。
 売り切れるとお店がしまってしまうので、開いている時に巡り合えるのがむずかしかったりする。もう、何十年もそこでうなぎ屋さんを営んでいるらしい。
 列をなすひとも、ぜんぜんあやふやな態度ではなくそこのうなぎがいいのだという、表情や態度で自信をもって並んでいる。
 
この間すきな作家いしいしんじさんの昔のエッセイをよんでいた。<うなぎ屋は待つことこそ真理なり>とタイトルがある。ほんとうにって思いながら、おいしいものを待っている時間っていうのは、しあわせだなって思いながら読んでいたら、もうひとつ、そこには心理が綴られていた。
 うなぎをつかまえるときのこつについて、店主の方に訊ねると。
それは<握らないこと>らしい。<握ると、逃げる。からだのまんなかに重心がありますので、そこを支えて、ひょいとつかまえてやる>
 力を籠めると、逃げるよっていうところが面白い。
 これはうなぎじゃなくても、そうかもしれないって思う。長い間何かひとつのことの技を磨き続けてきた職人さんって、だれにでも応用できるたとえで説得してくれる。あれもそだしこれもそうだと、気持ちよくふにおちていた。

       
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