その五二九

 

 






 






 





























































































 

なにゆえに スイッチおせない 梅雨めくひとよ

 ひとのすきなものについて聞いている時、ほんとうはわたしもそれがすきなのかもしれないとおもうことがある。
 たてつづけにぐうぜんのように、スイッチがすきなひとと逢った。
 スイッチ? ですか? ぐらいなかんじで受け止めてはみたけれど。昔よんだ詩の中にスイッチ好きの男の人が描写されていて、そこに登場する男のひとのスイッチ愛の偏り具合がチャーミングだったので、こころのなかにスイッチの引き出しがいつのまにかできてしまっていた。

 押した時の感覚。ゆびの腹につたわる感じにとりつかれてしまって家中のスイッチを押しては叱られていたってエピソードを聞く。
「ぜったいスイッチ好きの人ってそうですよ」って力説さ
れた。
「だからスイッチの部品を手に入れました」
 へぇってリアクションしたけれど、いつか読んだ詩の中
の男のひともそういう部品を手に入れてカチカチとやる。
<1回路2接点>という単純な仕組みのスイッチらしい。
<オンは赤でオフは黒>それがどんどん進化して、<6回路4接点>とかになると<少年の手には>お手上げになってゆく。その件が次第に人生と重ね合わされて、悲喜こもごもも同じように複雑になってゆくことが詠われ。
 あの頃のシンプルだったスイッチを懐かしく欲している
くだりでは、いつのまにかわたしもにわかスイッチ愛にひ
たってしまっていた。
 
 バスの中でやる終点で押したくなる<降りますボタン>
に一瞬をかけている男の子たちも、ゆくゆくは彼らのよう
なスイッチ愛にめざめてゆくのかもしれないなって思いつ
つ、終点前で響きわたるチャイムの音をみんなしずかに聞いていた。

       
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