その五三〇

 

 






 





 































































































 

つまさきの アングルがすき 舌を鳴らして

 道路をしゃりしゃりずりずりって引きずる音がする。
 6月もおわりになるとみんなビーサンを履く。
 コンビニに行ってもデパ地下もとくに男の人たちは老いも若きもとくにお休みの日はビーサン仕様になる。
散歩の犬のからんからんというタグの音とおとうさんやおかあさんのビーサンの音はそれだけで、ここに夏が来たって感じ。
歩き方でそのひとらしさがでるというけれど。
 こういうのを履いていると、こころがゆくるなる。
 なにかが反転してもそこからまたはじめればいいんだってそんなきもちで満たされる。
 
この間、ポーランド映画を観た。
<イマジン>っていう目の見えないひとたちが暮らしている診療所での恋物語だった。
 主人公のイアンは「反響定位」のインストラクター。
 指や舌を鳴らした音の反響とその音の遅れで物の位置と方向を測れる術をみにつけている彼が、白杖なしでリスボンの街を歩く姿にみとれてしまった。路面電車がゆきかう音。人々の歩く足音や車の音にまみれながらもちゃんと、バーのテラス席で同じ盲目の女の人とワインを飲む。
 彼は、おびただしい音の隙間を縫いながらもここの近く
には港があって、そこを大型客船が行き交っていることを耳でキャッチして、それが物語のクライマックスへとつながってゆくのだけれど。
 彼の足元はなんら不安がなくまっすぐ行きたい場所へとたどりつく意思をもっているように見えた。
 みえるって。歩いてゆくって、なんだろう。
 こんなにも抱えきれないほどの視覚からの情報にたよっ
ている日々を思うと、イアンのためらいのないあの足取りが、ほんとうにまぶしくて。音や匂い触れた感じをたいせつに、道しるべのように生きている彼のたたずまいが今もまぶたの裏に浮かんでくる。

       
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