その五三六

 

 






 








 































































































 

ひたすらに 砂漠をあるく ページの奥へ

 窓辺のすぐしたで、思いついたことを書いている。
 夏の文は、なつらしくあるのかどうなのかわからないけれど。
 夏って言うと、夏にちなんだ名前を持っていたあるひとを思い出したりする。
 けっこう思い出すという行為は、もしかするとひとよりも多いかもしれない。
 
夏がすこぶるだいすきな人だった。
 ずいぶんむかしに暑中見舞いをもらって、今もその方からいただいたたくさんのハガキは、赤いポストカードファイルに入れて、いつも目に触れられるところに置いてある。<とても暑い夏で、いい夏ですね>ってのびのびした字で綴られている。
 それは今から30年以上前のものだから、ずいぶん遠いはずなのに、なぜかここ何年かでその距離感が縮まった気がする。
 わけは、たぶん彼がもうこの世にいないからかもしれない。
 でも、なくなってからはずいぶんと近いひとになったのが、わかるし、それがどこかでこころのよりどころに、なってくれている。
 そのハガキをみながら、今年は暑いを超えてすごいことになってるんだよって、報告しつつ。報告しながらも、ときどき彼がいないことがうそみたいにおもえて、ほんとうはどこかの死にそうに暑い街で、ただまっすぐ生きているような気もしたりする。
今年みたいな夏でも、でも、おまえね、この夏は一度しかないから楽しめって言ってるような。たぶん言ってる。

 夏の本棚の背表紙までもが温かくなっていた。
<星の王子様>をひっぱりだしてみる。そういえば、中学生の頃これを読んだら? って言われていたことを思い出す。
 ページをめくる。
<砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているからだ>
 そんな一行に邂逅する。
 邂逅というよりはじめて出逢う感じで、出会いがしらする。
 なんだかむかしむかしのページをめくっているつもりだったのにまぎれもなく、いま風にめくられたページのその一行ををみている。わたしもみているけれど、あなたもみている気がして。

       
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