その五四六

 

 






 







 
















 

とけてゆく すうじやきごう ゆびさきにやどる

久々しゃがみたくなるほど、瞬間的におちこんだ。
じぶんとの約束を果たすことからのがれないように
今年はやってきたつもりだったのだけれど。
ひとつだけ結果のでないことがあって、そのひとつ
がとても気になりだして、途方に暮れて。
もう、やめて南の島にでも逃避したいと思ったりし
ていた。
ほんとうに悩んでる時は、じぶんのことばっかりを
考えているからだよって言われて、すこしはずかし
くなった。

そんな時、ずっと録画リストに入ったままだった映
画『奇蹟がくれた数式』を観る。1914年頃の話
で大好きなジェレミー・アイアンズがケンブリッジ
大学の数学者ハーディを演じていた。
彼のもとにある日インドの名もなき事務員ラマヌジャ
ンから手紙が送られてくる。それはただの手紙では
なくて、おおきな発見のある数式が綴られていた。

ラマヌジャンはやがて大学に招聘されるのだけれど、
学歴や身分の低さから、他の教授から敬遠というか、
理不尽に拒絶されてしまうのだ。
ハーディは彼の才能を大いに認めながらもその数式を
確かなものへと変えてゆくために証明することが大事
なのだと説く。着想だけでは、他の人たちを納得させ
られないのだと。その時ラマヌジャンは、もどかしい
思いでしかハーディの言葉を受け止められずにいた。
この時、どうしてラマヌジャンは、ゆるぎない自信あ
る数式を証明することへの拒否感をそんなに抱いてい
るのだろうと不思議だったのだけれど。
のちの台詞で彼らはこんな話をする。
<どこから着想を得るんだい?>とハーディ。
<女神、ナマギーリが教えてくれる。僕が眠る時や祈
る時、舌の上に数式を置いていく。神の御心でなかっ
たら、方程式など何の意味もない>と。
そこでわたしはほんとうに、くるっとなにかの裏側を
見せられた気持ちに駆られて、胸がじんとした。
ラマヌジャンは、自分が数式を発見したのではなくて、
方程式でさえも神の御心だと思っているのだと。
ハーディは信仰に生きていない故、彼の言葉に虚を突
かれるのだけれど。映画の最後のシーン近くで、彼は
遠いところへと旅立ったラマヌジャンに言葉を捧げる。
<公式は創るものではなく、すでに存在しラマヌジャ
ンのような類まれなる知性が発見し証明するのを待っ
ている>と。

すうがくをしんじるふたりがいて、すうがくとしんこ
うをしんじるひとりと、すうがくはしんじるけれど、
しんこうはしんじないひとりが、ぶつかりながらも、
りすぺくとすることのむくなおもいが、すっすっと、
きずついたやわなこころにしみとおってゆくような、
えいがだった。

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