その五五二

 

 







 






 












 

つまづいた さかなたちって いるのかなって

ほんとうになにもいうことがなくなって、どうするって
なったとき、ふと指先がふれた雑誌などをぺらぺらと、
めくってなにか浮かばないかなって、つらつらする癖が
あって。
今日もそれをしてる。

ふいに手にしたのはでっかい林檎の写真が写された表紙。
そういえばこのあいだ、食べた王林、あの黄緑色の林檎
は、さくっと感とひかえめなテイストに好感が持てて、
デパ地下で見つけるとつい買ってしまう。ぜんぜん王林っ
て感じじゃないところ、そのぎゃっぷもいいなって思っ
たりして。

なまえってふしぎだなって思う。この間、ぺらぺらとめ
くっていたむかしのアンディ・ウォーホルの『ぼくの哲
学』の<雰囲気>の章を読んでいた。
彼のあたまのなかにはいくつかの空間があって、なにか
の考えが棲むスペースがまたいくつかに分かれていて、
それは、まるでマンションのようだと。そして年を重ね
るにつれてその部屋はどんどんふえていってしまうもの
なんだと綴られている。なんとなく、その感覚はわかる。
でも、わたしの頭の中の部屋は、形も広さも、ほんとう
にでたらめなイレギュラーものばかりで構成されている
感じ。
で、ほんとうに豊かなのは<大きな空っぽの間を1つ>
もつことだと。でもそのおおきな空っぽの部屋でさえな
にかで満たそうとしてしまうんだけどと、前置きしなが
ら、<空間を占めるもう1つの方法は香水>だと言って、
次にいろいろなブランドの香水の名を、挙げてゆく。
ここまで読みながら、なんとなくNYのどこかのスペー
スを占めているアンディ・ウォーホルの身体から放たれ
ていた香水の匂いを思ってちょっとだけ、くらくらする。

<スー・ル・ヴァン>風下という名の香水。首飾りとい
う意味の<ジャボ>、<サレンダー>降参、<リフレク
シオン>反映だとか。きりがなくて、なにについてのエッ
セイだったのかもわからなくなるけれど、そう<雰囲気>っ
て空間かもしれないって、彼の言葉に誘われてしまう。
人の<雰囲気>だって、その人がそれぞれの身体という
領域から醸し出している微かな香りみたいなものともい
えるのかもしれないなって。だからたぶん同じ雰囲気の
ひとなんてだれひとりいないんだと思う。

 

 

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