その五五六

 

 







 









 













 

ちぢんだり ふくらんでゆく ソラリスの海

世間でもいいし、学校の教室どこでもいいけどちょっと
お叱りを受けてる人をみると、なんとなくいや無性に庇
いたくなってしまう。たぶん小さい頃からの癖だと思う。

うまく適合できないだとか、まわりと調子をあわせられ
なくて、たぶんシビアな場面が多かったかもしれないと
むかしをふりかえりつつ。
非難されたりしている人をみると、とりわけユアサイド
的な感情に張り巡らされてしまう。

そんなことを思いつつこの間見ていたテレビの中で、紹
介されていた言葉に目がとまる。
<湖に浮かべたボートを漕ぐように人は後ろ向きに未来
へ入っていく>  
フランスの著作家ポールヴァレリーの言葉だった。
後ろ向きにオールを漕ぐと、進むってほんとうに不思議
だと、今更ながら感心して。

そのうしろにはいろんなひとたちの人生とかがあって、
日常のつらなりがあって、あいとくらしとつみとばつと
へいわとせんそうがあって、ってぐるぐるとさかのぼっ
てゆくだけで、いまここにいることがめまいを覚えてし
まいそうに、うしろがわの道の長さを思う。そして、前
を向いたとき、あ、もう未来の時はきざまれていること
に気づく。

どこからが未来なんてないんだと思う。未来だけじゃな
くて、もしかしたらこの<どこからが>っていうその先
のこたえはいつもあいまいで、言ってるそばからもうは
じまってますよってことなのかもしれない。

すごいなあのひとって思った時に、いつごろからああい
うひとになったんだろうっていう問いがあったとして、
それは、<どこからが?>ではなくて、はじまるまえか
らもうすでにあのひとなのだとおもう。

さっきむかしの映画<グランブルー>をみていた。
果てしない凪の海をながめつつ、<どこからが海?>っ
て、問いかけそうになって、その問いの立て方を、ちょっ
と忘れてみたら? って海が大好きだった人がその海の
どこかで、すこしだけ笑っているような気がした。

 

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