その五六九

 

 




 







 

















 

声もなく 小鳥が飛んだ ざんざめく空

知らないおじいさんからの留守電が入っていた。
がんばって聞いてみるのだけれど、最初のことばは、
ほんとうに異国の言葉のように聞き取れなくて、最後
だけは、○○はみつかりましたか? って言葉で
終わってる。

なにかを失くしたひとなんだろうか。
なにかなのかだれかなのかは、わからないけれど。
困っているかもしれないけれど,そうこうしている
うちにかからなくなったので、たぶん間違い電話って
ことに気づいてくれたのかもと、ひとりきままに安堵
する。

窓の外からは遠花火。
むかしは窓辺に駆け寄って行ったり、あるいは
ベランダにからだぜんぶ投げ出して、花火を見ていた。
今は、いろいろと諸事情であちこちに家が立ち並んでいて
空の隙間が狭まってしまって、その花火の姿がみえない。
あるはずなのに、輪郭が空に浮かんでくれない。
花火の花火によるエア花火みたいでもあり、シャドウ花火
の様相を呈してきたので、音を耳に入れて終わりにする。

ブラ・マシューカ・メウ・コラソウォンって曲をYouTubeで
聞いていてその耳元で囁くような声が気になって、調べてみる。
<あなたが出て行ってから半年になる この心を傷つけたいが
ために この部屋に 小鳥とギターと失望だけが残されていた
のだろうか・・・>って歌詞と出逢う。
ジョアン・ジルベルトも先月亡くなられたし、そういう文脈で
聞くと、小鳥とギターと失望のくだりは、くっきりとそして、
ぽっかりと迫ってくる。
なにかを失うってなんだろうって。
失ってからその輪郭がくっきりとするってほんとうに
なんだろうって。
できれば何も失いたくないのだけれど。
いなくなったものたちってすごく、ずるい。
ほんとうにそうおもう。だっていなくってからずっと
いなくなってないんだってことに気づかされて。
形なきもの声なきものなのにずっといるなんて。
でたらめだよねって。

あのおじいさん。夏のはじめになくしたものが、
なんだったかはわからないけれど、ちゃんとちゃんと
おじいさんの元へとぶじもどれるといいなって思いつつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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