その五七八

 

 






 






















 

燃えている だれかのそばで くすぶりながら

なにか実体はわからないけれど、とても濃く心のどこかが
淀んでいたのかもしれないと。10代の頃を思い返すと、
そんなことを思ってしまう。
淀む前はとにかく、心がいろいろなものに触れてしまって、
振幅することじたいが、けっこう煩わしくて多分、きもち
ゆらされない方向へと、歩をすすめたくなっていたのかも
しれない。

千鳥格子のジャンスカを着て学校に通っていた頃を、ほん
のりと最近思い出すことがある。
その頃のじぶんというよりは、こんなじぶんに関わってく
ださった先生たちや、おとなたちのことだったりする。
この間気づいて、うわ、そうだったのかって思ったことが
あった。
その頃、わたしと関わる担任の先生を含めいろいろな教科
の先生方は、いつもどこかでわたしを信じていてくれてい
たことに気づいた。
ほんにんが、もうだめかもしれない、じぶんが信じていな
い勉強や体育やクラブ活動のあれこれも、先生方があきら
めることなく、接してくださったことはほんとうに、あり
がたかったなと。
子供にとって親でもないだれかがじぶんのことをひたすら
信じてくれているって、けっこう強みだと思うと、年齢を
重ねる度に、その思いは増してくる。

この間フランシスコ教皇が、来日されていたときに読んだ
言葉がちょっと印象深かった。
<羊のにおいのする羊飼いになりなさい>
と、司祭の方々に説いていたことを知った。

迷える子羊みたいな時間を過ごしていたころを、振り返り
この言葉はなおさら胸に響いた。
そしてシスターをはじめ、いろいろな先生方はほんとうに
フランシスコ教皇がおっしゃるところの
<羊のにおいのする>そんな方々だったなと。

うそみたいな書き出しでうそみたいに終わろうとしている
この文章も、じゅうぶんまよっている子ひつじだけれど。

あんなにひどい心模様だったはずなのに、小さい頃、みん
なで撮った写真を見ると、信じられないぐらい、ただただ
たのしそうに笑っていたりする。
じんせいたのしそうなのだ。そんなにハッピーじゃなかっ
たじゃない? とか思いつつ。
でも、考えてみれば10代って長いわけだし、傷もあるし
ほんとうもあるしうそもあるし、だれかのぬくもりだって
なんだってある。そんな時間なんだと思う。
そういうこと思うようになるなんてあの頃は思ってもいな
いだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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