その五七九

 

 





 







 

















 

燃えている だれかのそばで くすぶりながら

久しぶりに本屋で立ち読みをした。近頃、立ち読みはサイトの
中だけだったのに、ちゃんと8Fの本屋さんに行って、立った
まま、本を開く。
すきな女性作家の短編集の一話だけすべて読み終えて、読み終
える前と後ではなにか風景が変わった気がしてくる。
そして歩いてレジへ。
近頃の本の買い方が、ほんとうにネット空間の中だったことに
おどろきつつも、それが日常になっていることが、あらためて
よくわからないデジタルな日々を送らされていることにすこし
だけおののいてしまう。

外は銀杏が色づいていてすこしだけ、通路や通路の手すりに、
紅葉した葉が、そこに載っていた。風に運ばれそこに着地した
んだなって思いながら、こうやって季節は移ろうのかと、待ち
合わせの時間までを歩いて過ごした。
そして、ふとデジタルやサイバー空間には、移ろうという感
覚が日々失われてゆくことなのかな? とも思ったりしていた。

<夕暮れはいづれの雲のなごりとてはなたちばなに風の吹くらむ>

この間、新聞の中で定家の和歌について、ダンサーの方が語っ
ていらっしゃる記事のことが頭に浮かんだ。
<日常を離れて自然を感じる時、私たちはそこにあったものが
消え去ることに気づき、そこにないものを見いだす>と。
雲のなごり。
誰かが煙になってしまった証なのかと、こころのなかがしーん
としてしまう。
いまわたしの立っているその場所からは、JRの駅がみえた。
もうすぐ11月のあるひ。この駅から少し離れたところで生ま
れたあのひとが、旅立った祥月命日がやってくる。

定家のあの歌は、いままでとりたてて鑑賞したことはなかった
はずなのに、とつぜんその意味がすとんと身体のどこかを吹き
抜けてゆく速さで理解した。

まだ夕暮れには早すぎる時間だったことにすこしすくわれつつ、
鼻をかすめるにおいも、記憶を運んでくるものではなかったけ
れど。こうやってどこかに行ってしまったものたちは、わたし
だけではなく、とてつもない数の人々がそんな思いに駆られて
きたことを知る。
この不在感に納得はしていないけれど、からっぽにみえるその
わっかのなかにいつもあなたを描いていることに、気づかされ
て、将棋の試合の後の<負けました>ってすがすがしいことば
がじぶんの内側から響いている、そんな気分の昼下がりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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