その五八六

 

 




 








 





















 

夢の中 すきになったのは 君の体温で

闇の中。それも洞窟の中を頭についたヘッドランプだけで
石の塊のてっぺんからてっぺんへと、跳んで着地したり、
すこし滑りそうになりながら、踏みしめながら歩いている
男の人達の映像を見ていた。

ずっと文字を持たなかった集団民族が、神話のように語って
いる場所がある。
そこに龍が棲むというらしい、奥深い洞窟。
闇の中で誰かが声をあげて、ひとり進んでゆく。
なにか、今までの岩とはちがうなにかがあるらしいと。
ひとり進むのは外国のたぶん地質の研究者の方で。
ありとあらゆる光源で照らしてみると、うっすら石筍が
認められた。
それは高さ37メートルで、数百万年前のものらしく。
数百万年前? って。いい!

その日。わたしは、ことばにまみれてとても疲れて
いたので、ただただ悠久のとか、永遠だとかそんなふうに
語られるなにかに、ぎゃくにまみれてしまいたかった。
勝手な言い分だけど、文字を持たない民族っていうところに、
埋没してしまいたいようなそんな気分だった。

それに。今日とか明日ではなくて、数百万年前の、水の雫が
滴り落ちながら、堆積されてこしらえられているところ。
こういう時間の流れを、じぶんの中では追えないことが、
とても疲れたこころをゆるやかに保たせてくれた。

ほんとうのところ、じぶんが惹かれたワードってどれなん
だろう。ことばなのか。悠久のみたいな時間なのか。
それともって思って、すこし腑に落ちた。
もしかしたら、そのプログラムが洞窟を探検する
ドキュメンタリーであったところ。そこに大いに反応していた
のかもしれないと。
こういうことをつらつら書いていたら、パソコンのメール
アプリがお知らせ音を知らせてくれた。
とある方からのメールを頂いた。
じぶんの思いが杞憂だったことを気づかされるような
うれしい言葉が記されていた。
その方がある日おっしゃった言葉。
じぶんの中に言葉を持っている人はつよいですよ、って。
その方に憧れている若い人達へのはなむけの言葉として
贈られたものだった。
そう、言葉をもってしまったわたしたちは、言葉で生きて
ゆくんだってあらためて思いを確かめた。
ちょっと疲れた時に言葉なんて欲しくないとか、悠久の
とかがいいねとか。時々そういうモードになるけれど。
ふたたび、ニュートラルな場所へと戻ってゆけるのも、
言葉なんだなって。
でも、あの洞窟ってとっても原初を想わせてくれて、
情報にまみれた日々にとってはかなりオアシスでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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