その五八七

 

 






 







 






















 

駅名が 長いひとつの 名前だったとしたら

まだ、手帳を開くのがおそるおそるなんだなって
思いながら、ちょっとデリケートな紙に触れるように
ページをめくる。

悩んでいたりするときは、いろいろなことに耳を
澄ましているみたいで。
すぐに書き留めたくなる。今日一日、じぶんの中に
触れてきた言葉っていうのを記しているのが癖で
もうずいぶんと長いことそういうことの
コレクションをしているけれど。

小さい子が指さしてこれなあに? っていう。
これのなかには名前が入ると、こどももふーんって
言ったりして。でもときには、なんで? って
逆に問いかけられたりする。
問いかけられた時に、おとなは言葉につまって
その場しのぎで、はったりでスルーしたりする。

この間、解剖学の先生がおっしゃっていたことで
わ、そういうことか。って思ったことがあった。
その方は、対談相手のジャズピアニストの方に
解剖学ってなんですかって問われた後、名付けるっ
てことですねみたいなことを、すんなり答えていて。

どういうこと? って思っていたら、名付けるという
ことは、物を切ることです。と、およそ禅問答のような
答えで返されて。だからどういうこと? ってわたしも
畳みかけるように自問していたら。
消化管っていったら一本のただの管だけれど、それを
切っていって口腔だとか胃とか、食道と名付けることで、
解剖学が成り立つのだと。
それを聞いて、あ、名付けるとは区切る、つまり切ること
なのかと。そして、見えるものを言語化していく行為だと
もおっしゃっていて。

名前って。みんなひとりひとり、大きな意味での所属を
語っているものなんなと。
名前なんていらないんじゃないって思うこともしばしば
だけれど。あなたとわたしはそれぞれちがうのだという
証でもあるわけで。
名付けられて区切られているけれど、ちがうはずの
そっちのエリアに受け入れてもらって仲良くさせて
もらったりすることもこの上なく楽しいわけで。
名前って生まれた時から、あたりまえに名乗ってはいる
けれど。限りなく無所属でいたいわたしには、いたく
目から鱗というか、いろんなものが滴りそうなぐらい、
こころあらわれた話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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