その五九二

 

 





 






 
























 

指をさす 指の血潮が かけがえなくて

みらい。
<そしてぼくらは>っていう歌詞が耳におちてきて。
ら。っていまは、ら。でいられないくなっているけれど。
音楽が耳を掠めて去ってゆくときのあの、いちいち追えない
きもちの欠片のようなものに、すこし心の温度が
変わってゆくのを感じる。

<失ってしまうもの、守りきれるもの>って、歌詞が耳に
おちてきて。
ずいぶん昔の曲なのに、この言葉の輪郭がいま歴然と
こっちに向かってきているのを感じて。
彼の曲にくるっていたころを思い出し、ふたたび去年
ぐらいから聞き始めている。

しゃがれた歌声がすきで。
歌詞なんか、ほんとうにきままにじぇらしい感じるぐらい
すきで。
これからのあたらしい曲が、どんな感じなのか想像も
できないけれど、とても心待ちにしている。
ただ彼は言っていた。
まだ、現実がそこまでひどくなかったあの頃だったから
書けた詞だったんだよねって。

そうだなって再びリアルに引き戻されつつ。
いま心待ちにしているって書きながら、そうかとも思う。
心待ちにしているものが、ぜったいあるはずだから。
そういうふうな気持ちが、片隅にあることでちょっと
呼吸がしやすくなるんだなって。

<ソーシャルディスタンシング>って。
続けていると。
そんな用語はないけれど。どんどん
<メンタルディスタンシング>みたいな感じになって
ゆくことにこの間気づいて。
もともと人見知りだし、ソーシャルな場所は苦手だけれど。
こころの底が、一番底二番底では終わらなくて底なし
みたいな感じに陥ってしまうことがあった。
人との物理的な距離ではなくて、精神的な近さ遠さの
ようなものがぶれてしまう。
そして、幾人かのひとに迷惑をかけてしまったかもしれない
と。
不安定なときには、ちょっと日和ったりちょっと媚びて
しまうところがあるのかもしれない。無意識のうちに。 
そんなとき、<今、ぼくらは うまく歩こうと>って
乾いた彼の声が聞こえてきた。
底に落ちていたこころがふるえたりして、震える余力が
もどってきていることを余韻のように聞いていた。

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