その五九六

 

 







 







 























 

ふれあえる ディスタンシング 緑のままで

日記って旬をつかまえるのが、いちばんだなって。
そう思うのに、ついつい捉えられなくって。
旬を過ぎた頃に、綴りたくなったりする。

この5月は垣根という垣根に密生している樹々たちの
散髪をした。5分刈りに近いかも。
とにかく、やりたい放題きままに、枝を伸ばして。
それもことごとく光ある場所を目指して。

枝ってこんなにしなるのね。っていうぐらいの柔軟さ。
ある意味、うらやましいぐらいの奔放さで。
そして、幾本か間引いた。
密だったものがまばらになって。彼らも脱密させた。

こういう作業は始めてしまうと、異様に集中してしまい、
後にはなにかを達成したかのような、ゴール感いっぱいに
なって、ああでもないこうでもないと考えていた、
よからぬことから解放されて、そういう意味では有意義
だったと思う。

ただただ庭がさっぱりしてよかったねっていうだけの
話なのだけれど。
ここ最近の、しろくろつけようぜみたいな感じに
ついていけないじぶんがいて、誰にも責められていない
のに。すごく追い詰められてるような気がしていたところ、
新聞で<ネガティブ・ケイパビリティ>って言葉と
出逢った。

つまり、答えを急ぐな、宙ぶらりんで行けみたいな意味
らしい。ある精神科医の方のインタビュー記事でみつけた
概念だったけれど。
地獄に仏みたいに心の揺れがおさまった。
その方の言葉を読んでいると、悩んでいることは恥じ
なくていいとおっしゃっていて。
背中にあたたかい手の平の温度を感じたようなそんな
記事だった。

ほんとうははやく心の奥底の声のことなど、気にしない
伸びっぱなしのあの枝のような、風情でいられたら、
いちばんなのにって思ってるし、数か月前よりは、
そんな気持ちに傾いているじぶんに気づいた。
へぇ。きのうよりもあしたのことをみているんだなって。

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