その五九七

 

 






 







 






















 

ただ舞って 世界がちかい 幻想みえた

外を自転車で駆け抜けるこどもたちの声が聞こえて。
空の上からは市のお知らせが、風にハウリングして。
子供たちの声と、まじりあいながら。
ちいさな活動期に入ったのかと思う。

あたりがほんとうにひっそりしていて。
それはそれで静かでよかったけれど。感情の起伏を
グラフに起こすとほんとうに放物線がふれあう双曲線の
ような感じだったから。

久しぶりに外にリアルな買い物へと出かける。
ずっと、通販で日常のあれこれを週一で届けてもらえる
習慣に変えてみたら、それがとても快適で。
信じられないほど、みなさんやさしくて。
出かけない分、こまごまとしたごまかしながら
暮らしていたあれこれが目につき、そっちに時間を
割くことができた。

日常ってどんなだったか、忘れていたし。
お化粧の仕方も忘れていたし。出かける時の緊張感も
忘れていたし。持って行くものの、鞄の中のあれこれの
点検も、非常に手間取りいつもと違っていた。
街並みに帰って行ったとき、街並みが懐かしいという
よりも、デパ地下のおばさんたちの変わらない仕事ぶりを
みるにつけ、わたしがひきこもっていた時間を彼女彼らは、
日々を支えるべく、店先に立ち続けていたんだなと
感慨深かった。

正直。まだなにが変わっていて変わっていないのか。
わからない。昔流行った、<アハ!体験>みたいに、
右のビジュアルと左の物を比べてどこが動いたか、わかりますか?
っていうクイズのように。
でも、あれの種明かしをされた時にこんなに変化しているん
だって、こわくなったように。
まだなにもみえてないのかもしれないと思いながら。
それでも、吹いている風はなにも世界は変わっていない
かのように、心地よく。マスクを外して呼吸したい
ぐらいだった。
こんな風の吹くむかし、誰かが産まれて。
ちいさな赤ちゃんだった時に思いを馳せる。

この間、ハードな犯罪捜査官が活躍するドラマの中で
М・トゥエインの言葉が引用されていた。
<許しとは踏み潰されたスミレが踵へと放つ香りである>
遠い昔にじぶんが踏み潰してしまったかもしれないスミレを
想い、スミレがみずからを犠牲にしながらも、香りを放って
いる図をたちまち思い描いて、小刻みに震えを感じていた。

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