その六〇三

 

 




 





 






















 

声の色 声じゃない音 耳に閉じ込めて

さっきカナカナが鳴いていて。
なんか、もうカナカナなの?って。ふいに思ったけど。
6月の終わりから鳴くらしいから。あっているけど。
秋の季語のせいなのか、秋を誘う声だなって。
季語って、その季節とはちょっとずれていたとしても、
季語のなかの季節に引きずられてしまう感じがあるなって。

この<ずれ>って微妙な時間感覚すきです。
<ずれ>が生む、あたらしい空間ってちょっといいと思う。

この間読んでいた文章の中に。

「ずれ」が、機能し、それでいて反復していることの快楽。
響きの効果を<グルーヴ>という
っていう文章に出会った。

そんな言葉を目で追っているだけで、<ずれ>ってそれ自体は
はみでているけれど、でるところにでれば、<ずれ>って
ちゃんと機能しているのかと、目から鱗だった。

知識と経験と感覚に基づいた人の文章ってほんとうに、
読んでいる先から、胸のなかで小躍りしたくなる。

クラシックにグルーヴは存在するのかっていう問いに
対して、一線で活躍する演奏者たちにインタビューした
本の紹介で出会った言葉だったけど。

その本を評していらっしゃる作家の方が、

<オーケストラにおいては、遠くの楽器の生音が遅れて
聞こえてくるけれど、それも全体が有機的に“鳴る”としたら
(中略)グルーヴなしに、クラッシックは考えられない>
と記されていて。
グルーヴって感覚をふだん気にしたことなかったけど、
このオーケストラとは対岸にあるようなグルーヴが、
そこにもともとあったっていう、インタビューを読んでいると。

なんか、とても相反するものがそこに共存していることへの
興味が湧いてきて、日記にメモってしまったほど。

グルーヴイコール、ファンキーなノリぐらいの認識しか
なかったのに。
まったく居場所の違うもの同士が、もともと顔なじみのように
そこにいるって、ちょっと面白いなって思う。

そういう言葉聞いてると。
ジャンルって、いるのかな?
あなたのカテゴリーはここですって、思いすぎてるのかもしれない
ってことまで、思わせてくれて。

それにおまけにこの評者である方の文章が、この本の為の工夫が
施されているんだろうなっていうぐらい、それこそグルーヴ感
いっぱいで。

文章のノリ、うねりまで一気に楽しんでいた
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