その六〇八

 

 






 








 














 

フェルトを こころのなかに あしらってみる

まだ、冬ではないのに気持ちはもう枯れ葉や
雪の事を思っている。

この間、最近仲良くさせて頂いているМさんに
わたし北国で育ったから、雪の上にね、犬の
足跡をみつけただけで、ちょっとこわかったよ。

犬とあんまり仲良くできると思えなくて。
って話してくれて。
犬はかわいいけれど、ちゃんと怖い彼らは野性だ
ということも、ちいさなМさんの中に刷り込まれ
ていることは、ちょっと大事だなって思った。

そんなことを思っていながら雑誌をめくる。

ここに書く時は、ほんとうにからっぽの気持ちの
まま書き出してしまうので。
その手助けになるのが、むかしの「花椿」だったり、
「クウネル」だったりする。

今日もそうして膝の上に本を置いている。

<寒くて寒くて心まで凍えそうな夜だから温もりある
手仕事が慰めになるのです>
と、レストランを経営されている方の言葉が書いてあっ
た。

拾ってきた枯れ枝や松ぼっくりに、羊毛をあしらった
電気のシェードなどがそこに紹介されていた。

枝を四つに組んで、その角かどに、松ぼっくりが鈴の
ようにぶらさがっている。
灯りも間接照明らしく、やわらかい。
冬の暮らしがその部屋には、あって。
もう少しその方の話に耳を傾けてみる。
<羊毛は、牛や羊の匂いはわたしにとって“2時間目
の匂い”>って文字をふしぎな思いで、目で追う。

牧場の多い十勝平野で育ったその方は、学校に通って
いた頃、2時間目になるとその匂いがしてきたそうだ。

おもしろいなって思う。
その人しか経験しえないことが、ひとりひとりの身体
や心の中に蓄積されているって。

こういうことを、もしかしたらかけがえのない、感受
性っていうのかもしれない。

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