フェルトを こころのなかに あしらってみる
まだ、冬ではないのに気持ちはもう枯れ葉や
雪の事を思っている。
この間、最近仲良くさせて頂いているМさんに
わたし北国で育ったから、雪の上にね、犬の
足跡をみつけただけで、ちょっとこわかったよ。
犬とあんまり仲良くできると思えなくて。
って話してくれて。
犬はかわいいけれど、ちゃんと怖い彼らは野性だ
ということも、ちいさなМさんの中に刷り込まれ
ていることは、ちょっと大事だなって思った。
そんなことを思っていながら雑誌をめくる。
ここに書く時は、ほんとうにからっぽの気持ちの
まま書き出してしまうので。
その手助けになるのが、むかしの「花椿」だったり、
「クウネル」だったりする。
今日もそうして膝の上に本を置いている。
<寒くて寒くて心まで凍えそうな夜だから温もりある
手仕事が慰めになるのです>
と、レストランを経営されている方の言葉が書いてあっ
た。
拾ってきた枯れ枝や松ぼっくりに、羊毛をあしらった
電気のシェードなどがそこに紹介されていた。
枝を四つに組んで、その角かどに、松ぼっくりが鈴の
ようにぶらさがっている。
灯りも間接照明らしく、やわらかい。
冬の暮らしがその部屋には、あって。
もう少しその方の話に耳を傾けてみる。
<羊毛は、牛や羊の匂いはわたしにとって“2時間目
の匂い”>って文字をふしぎな思いで、目で追う。
牧場の多い十勝平野で育ったその方は、学校に通って
いた頃、2時間目になるとその匂いがしてきたそうだ。
おもしろいなって思う。
その人しか経験しえないことが、ひとりひとりの身体
や心の中に蓄積されているって。
こういうことを、もしかしたらかけがえのない、感受
性っていうのかもしれない。 |