その六〇九

 

 







 






 









 

詩の中の 自然や地球 皮膚に沁みる

あのステイホームのさなか。
それでも買い物には行かなければと、曇り空の下
近くの道を歩いていた。

頭の中はやはりあのニュースのことばかりで。
専門家でもないのに、いわゆるググった生活をしな
がら、数字を見たりグラフをみたり。
時には、そんな理解する頭も持ち合わせていないの
に、著作などで信頼しているドクターの方の論文を
眺め見たりしていた。

そんなことが、消えないままでぼんやりと歩いて
いた。
行きはなにもなかった。
帰りは、すこし指にくいこむお店の名の記された
袋をもちながら、来た道を帰る。
信号をわたって、犬の散歩とすれ違いながら、
渡り切って、またすこし歩を進めていた時
急に、突風が吹いた。

突風に出くわすのは初めてじゃないけれど。
でも、その突風はいわゆる最大瞬間風速なんたら
メートルって感じの風で。
何かに捕まっていないと立っていられないような
そんな強力な風に見舞われていた。

今のじぶんの身体を保たせないとゆらっとして
倒れてしまいそうで。
近くの焼肉屋さんの看板も、しなっているし
ちょっとだけ、すごく恥ずかしいけれど、電柱に
手をかけて信号を待っているふりで、しのいだ。

そして今、詩のことばを見ている。
<大地は岩の間に 青い花を咲かせている ぼくの
前にはいつも ぼくのうしろ姿がある>  

という長沢哲夫さんの「足がある」という詩集だった。
もうひとつは、

山尾三省さんの「土」という詩。

<土は 静かである 土の静かさは深い 人間の 
どんな沈黙よりも 土の沈黙は さらに深い 
鍬という 人間のどんな道具をたよりに その
沈黙を掘る>

あの日、ただ強風に吹かれただけだったのに。
あの風を体験して、ちゃんと身体の事を意識できた
気がする。
身体で危機を感じると、いったん仕切り直しの
ような、潔い気持ちになったことを憶えている。

自然と対峙するというまでもないことだけれど。
ちょっと恥ずかしいぐらいのことだけれど。

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